2009年12月28日 (月)

「眠れない三日月」論(10) 「私たち」という共同体への祈り

6・2 新ヴァージョンの歌詞の再検討

 新ヴァージョンの詞を書くにあたって、舞衣子が「恋(好き)」と「愛」の違いについて深く掘り下げて考えようとしている点については既に言及した(「2 新ヴァージョンの詞について」の冒頭で引用した舞衣子自身の弁を参照)。そして、これまでの記事で分析してきたように、今回の作品には「愛」という営みについてのかなり深い洞察があちこちで示されている。

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2009年12月27日 (日)

「眠れない三日月」論(9) 「恋」のダークサイド

6 再び「眠れない三日月」の詞について

 さて、これまで長々と「恋」や「愛」について論じてきたのは、「眠れない三日月」の歌詞を評価するための「視点」を獲得するためであった。我々がふだんごっちゃにしがちな「恋」と「愛」をこのように明確に区分する「視点」を導入することで、「恋愛」に伴う様々な事柄がいろいろと見えやすくなったのではないかと思う。

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2009年12月26日 (土)

「眠れない三日月」論(8) 意味の揺らぎとしての「恋愛」

5・3 「恋」、「愛」、そして「恋愛」
・これまでの議論の整理

 以上、「恋」および「愛」についていろいろと論じてきたわけだが、これまでの議論をまとめるなら以下のようになるだろう(表1を参照、クリックすれば画像は拡大します)。

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2009年12月25日 (金)

「眠れない三日月」論(7) 「我々の思想」としての愛

5・2 「我々の思想」としての愛
・出発点としての「温もり」

 では「愛」とは何なのであろうか?日本では、語源である「愛し(かなし)」という概念に、西洋伝来の「Love」の概念が混合して、ややこしいことになっているようだ(Wikipediaの記述を参照)。しかし、ここではあえて「『私たち(という同胞意識)』から出発する思想」と単純化してしまおう。それはこういうことである:

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2009年12月24日 (木)

「眠れない三日月」論(6) 「私の思想」としての恋

5 「恋」から「愛」へ

 今回の作品が前作よりも深みを増しているもう一つの要因として、「恋」から「愛」へのテーマの転換があるように思う。「裏ROCK KIDS(前編)」における舞衣子の弁をもう一度引用するなら、「「好き」と「愛してる」は何が違うのかなって考えるようになって(…)[その違いについて]もっと深いところをこの曲に書きたいなと思っ」たとのこと。この「好き」が「恋」のことを指すのは言うまでもない。

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2008年3月 3日 (月)

MARIA4thシングル・レビュー(3) 「ゆらり桜空…」の歌詞について

 4thシングル・レビューの第3回目です。今回の記事は、「ゆらり桜空…」の歌詞についてです。

 やや長文で思弁的な内容になっていますが、「あなたに…」(MARIAの1stアルバムに収録)と「ゆらり桜空…」の主人公を同一人物と想定して、論を展開しています(主人公になりきって文章を書きました(汗))。

 恋愛経験、特に失恋経験のある方なら、何となく分かっていただける内容にはなっていると思います。では、どうぞ。

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