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2011年10月26日 (水)

なぜNICOLAか?(親指シフト導入記2)

1 NICOLAとそれ以外の親指シフト

 今回、筆者が習得しようとしているのは、NICOLA(NIHONOGOーNYURYOKU CONSORTIUM LAYOUT)と呼ばれるキー配列規格である。(注)

 (注)親指シフトとNICOLAの詳細については、ウィキペディアこちらの記事などを参照のこと。

 一般に親指シフトというと、富士通のワープロ專用機OASYSに由来するもの(NICOLAも含む)がイメージされがちであるが、近年はキーボードの種類に依存しない、様々なタイプの配列が個人ベースで開発されているようだ。(注)

 (注)たとえば、こちらのページのリストを参照。

 そしてこれらの新しい配列の中には、旧来の親指シフトよりも習得が容易で、入力速度の点でも疲労度の点でも、NICOLAを凌いでいるものが少なくないと聞く(もっぱら開発者サイドの意見ではあるが(苦笑)

2 筆者がNICOLAを選んだ理由

2・1 ユーザー数が多い

 こうした現状にもかかわらず、今回筆者があえて(親指シフトの中では守旧派ともいえる)NICOLAの導入に踏み切ったのは、ひとえにそのユーザー数の相対的な多さに起因する。(注)

 (注)もちろん、現在は親指シフトの利用者自体が圧倒的なマイノリティに属するわけであるが(ユーザー全体に対して占めるシェアはせいぜい2~3%程度?)、その中ではNICOLAユーザーが最大派閥を形成していることは間違いないだろう。

 ユーザー数が多いことには様々なメリットがある。まず、導入の仕方や練習方法などについて、参考になるHPやサイトが多いこと。筆者のような独学者にとって、こうしたサイトの存在は実にありがたいものなのである。(注)

 (注)もちろん、NICOLA以後に登場した新しい配列についても、たいていの場合、開発者の手によるサイトが公開されている。
 しかしそれらのサイトには、キー定義や開発履歴についての詳細な記述はあっても、ユーザー(とりわけ初心者)の使用感に関する記述が少ないため、その配列についての(マイナス面も含めた)客観的な評価見通しを立てることが難しい。
 逆にNICOLAの場合、その課題や問題点を新配列の開発者が自身のHPなどで事細かに指摘してくれたりしているので(笑)、使用感についての客観的な評価がむしろ得やすかったりする。
 ユーザー数というのは、こんなところにも影響を及ぼすわけである。

2・2 大手企業が開発に携わっている

 またNICOLAの場合、富士通という大手の会社が関連製品を扱っているため、キーボード(親指シフト専用)やIME(Japanist)を含めて、比較的安定した使用環境を維持できそうなことも、初心者にとってはポイントが高かったりする。(注)

 (注)もちろん、エミュレーション・ソフトを使用すれば、通常のJISキーボードのままでも親指シフトの利用は可能であるし(そのためにNICOLAが開発されたのだから)、IMEもわざわざJapanistに切り換える必要もない。
 とはいえ、富士通製品を使用した方が何かと親指シフトの使い勝手がいいことも、紛うことなき事実だったりする。この件については追って詳細に検討することとしたい。

 NICOLA以後に登場した新配列の多くは、開発が個人の労力に依存している。このため、開発者に何らかの問題が生じた場合、その配列の開発が止まったり、配列変更アプリケーションの公開がなくなってしまうのではないか、などの不安が拭いきれない。

 これに対してNICOLAの場合、OASYS以来の熱狂的なユーザーが(少数とはいえ)一定数存在する。

 この不景気なご時世、確実に売り上げに貢献してくれる固定客の存在は有り難いものであるから、富士通が親指シフト関連の商品の開発から完全に手を引くことは、当面はないように思えるのだ(楽観的すぎるかしら?)

3 初心者にNICOLAを勧める理由

3・1 新配列もNICOLAの操作性を引き継いでいる

 このように「利用者が多いから」とか「大手企業がバックについているから」といったきわめて皮相的な理由で(笑)、筆者はNICOLAを選んだわけだが、今考えると初心者にはこの選択でよかったのだと思う。

 今回、新配列のサイトもちらちら覗いてみたのだが、そのほとんどが親指シフトキー(無変換ないしSpaceキーで代用)との同時打鍵を採用している。つまり、NICOLA的な指遣いがかなり踏襲されているわけだ。(注)

 (注)実際、新配列の開発者の中には、かつてNICOLAユーザーだった人が少なくないようである。

 したがってNICOLAをきちんと習得できれば、後からこれらの新配列に挑戦する場合も、その習得がより容易になると考えられるわけである。(注)

 (注)逆に、NICOLAを経由せずにこれらの新配列をマスターしても、その「ありがたみ」はユーザーには十分に伝わらないのかもしれない。

3・2 親指シフターの心性

 また、親指シフトの習得を志す人とNICOLAとの適合性について、社会心理学的な説明を加えることも可能である(以下はあくまで筆者自身を素材とした自虐ネタですので、あまりまじめに受け取らないで下さい(笑)

・誇り高き変わり者?

 まだOASYSが一定のシェアを確保していた1980年代ならいざ知らず、最近になって親指シフトに手を出そうという人間は、相当の変わり者である可能性が高い(ライターや速記者のように、職務上の必要性から導入を試みた人は除く)

 自分がそうだからよく分かるのだが(笑)、この手の人種は妙にプライドが高い(「他の人間と同じは嫌」という意識が強い)反面、独り我が道を行くほどの度胸はないという、ややこしい性格の持ち主が多かったりする。

・「マイノリティの中のマジョリティ」の効用

 このタイプの人間にとって、「マイノリティの中の主流派」というNICOLAのポジションは、まさにうってつけだ。「違いの分かる一定数の仲間」とともに、自らの選良意識を満たすことができるからである。

 そして初心者や未学者にとっては、上記のような功利的理由(参考になるサイトが多いことや、大手企業がバックについていることなど)以上に、同志や仲間が(一定数)存在するということが重要なのだ。

 それによって彼らに「安心感」や「拠り所」のようなものが与えられ、学習意欲の維持や促進にもつながるからである。

・「マイノリティ中のマイノリティ」であることの悲哀

 新配列の場合はこうはいかない。使用者が開発者とその周辺の数名に限られているので、「自分は親指シフターである」というような堅固なアイデンティティを、ユーザーが確立しにくいのだ。それはこういうことである;

 人があるアイデンティティを確立するためには、「自分は~である」と自認するだけでは不十分で、他者からそれを承認される必要がある。

 そして、他者からの承認を得るためには当然、他者とのコミュニケーション(相手のブログやHPを読むような行為もそこには含まれる)が不可欠だ。

 新配列のユーザーは、このようなコミュニケーションを取る相手や場が極端に限られてくるので、(「私は~配列ユーザーである」という)アイデンティティがどうしても不安定なものとならざるを得ない。

 このため、これらの配列のユーザーは(開発者も含めて)ある種の孤独や不安に苛まされる可能性が高い。すでに様々な配列をマスターしてきている熟練者はともかく、初心者や未学者にとっては、これは大きなハンデであろう。

4 暫定的な結論

 このように考えると、「とにかく入力速度を上げたい」といった明確な目標の持ち主はともかく、親指シフトに漠然とした関心ないし憧れを抱いているようなタイプの未学者は、まずはNICOLAを試してみる。

 そして、NICOLAの指遣いにどうも馴染めず挫折したり、習得はできたけれども飽き足らないものを感じているといったタイプの人は、新配列を試してみるというのが、親指シフト(派生形も含む)の妥当な学習コースといえるのかもしれない。

 などと偉そうなことを書いてきたけど(笑)、筆者自身もまだまだ親指シフトに十分習熟したとはいえない、若葉マーク?の初心者ユーザーにすぎない。

 NICOLAと新配列との関係性については、親指シフトでの入力により習熟した上で、改めて考えてみたいと思う。

 (以下、次号)

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