親指シフト用キーボードについての極私的な考察(親指シフト導入記6)
1 親指シフト向きのJISキーボード≠親指シフト専用キーボード
今回のドタバタ劇?を通じて強く実感させられたのが、「親指シフト向きのJISキーボード」と「親指シフト専用キーボード」は、似て非なるものであるということ。
どれほどキーの配置やタッチの感触が似ていようとも、細やかな使用感の点で、前者は後者の代用品にはけっしてなり得ない。専用キーボードで入力する経験を積めば積むほど、その思いは強まる一方である。(注)
(注)もちろん、筆者が使用したものよりも親指シフトに適したJISキーボードは探せばあるのかもしれないし、例の親指化キットを使えば使用感が多少は改善されるのかもしれない。
しかし、JISキーボードと親指シフト専用のキーボードとでは設計思想が根底的に異なっている以上、また後者には長年に渡る研究開発の成果が盛り込まれている以上、使用感の点で前者が後者を上回ることは究極的にはあり得ないように思う。
2 プロモーション戦略の転換の必要性
2・1 従来のプロモーション戦略の問題点
NICOLAの普及を訴えるサイトなどを見ると、「JISキーボードでも親指シフトは打てる」ことがしばしば強調されている。おそらくは一般ユーザーを取り込むための戦略の一環なのだろう。
しかしこの戦略(JISキーボードでNICOLAを経験させる)は、むしろ初心者を親指シフトから遠ざける結果にしかならないような気がする。それはこういうことだ。
・「互換性」の強調の落とし穴
これは親指シフターの間でもあまり声高には主張されないことだが、そもそも専用キーボードでなければ、NICOLAの快適な打鍵感を味わうことは難しいのではなかろうか。(注)
(注)おそらく、そう思っている親指シフターは少なくないはずである。しかし、「NICOLAは専用機種に依存しない」という建前がある(あった)ため、親指シフトのプロモーターは正面きってこのことを訴えることができなかったものと推察される。
加えて、(本質的に親指シフトには向いていない)JISキーボードでタイピング練習を行えば、窮屈な指遣いを余儀なくされることで、初心者は肩凝り等の身体の不調に悩まされる可能性が高い(筆者がまさにそうだった)
結果、せっかく親指シフトに関心を持っても、タイピング練習の段階で挫折したり、指遣いは覚えても快適な打鍵感を得られないことで幻滅し、ローマ字入力へと戻っていくケースが、初心者の間で少なからず生じていたと考えられる。
つまり、「JISキーボードでも親指シフトは打てる」という謳い文句は、NICOLAの快適な打鍵感から初心者を二重に遠ざけてしまうという、意図とは逆の結果をもたらすことになっていた可能性があるわけだ。
2・2 戦略の転換
したがって、従来の戦略を180度転換したものが、NICOLAを復権させるための近道ということになりそうである(もう手遅れかもしれないけど…(汗)
すなわち、「親指シフトの初心者ほど、専用キーボードを使用すべし」と正面きって説くのである。
初心者には、とにかく親指シフトの王道?を歩いていただく。専用機種ならタイピング練習で肩凝りが悪化することもないだろうし、新配列に十分に慣れたあかつきには、確実に従来のローマ字入力よりも快適な打鍵感を味わうことができるだろう。
こうして初心者の身体を専用キーボードなしにはいられない(笑)状態に仕立てた上で、JISキーボードしかない環境でも親指シフトが運用できるよう、エミュレータの使い方を伝授する…。これこそがコアな親指シフターを生み出すための近道であるように思う。(注)
(注)NICOLA配列を完全に習得した中級以上のユーザーなら、入力に際して余計な力みが入ることもなくなっているので、JISキーボードによる親指シフトの使用にもそれなりに対応できるように思われる。
もっとも、専用機種による入力がベストであることは、中・上級者にとっても変わりはないのであろうが。
2・3 価格の問題について
・サラリーマンの一月分の小遣い賃?
NICOLAの習得にとって上記のようなアプローチ(初心者こそ専用キーボードを使うべし、JISキーボードの親指化は中級者になってから)がベストであることは、多くの親指シフターが首肯してくださると思う(ホンマかいな?)
にもかかわらず、そうした声がユーザーの間であまり沸き上がらないのは、ひとえに専用キーボードが割高であること(据え置き型で3万円程度)に原因があるのだろう。(注)
(注)2011年4月現在、サラリーマン(20~50代)の小遣いの平均値が3万6500円/月だから(新生フィナンシャル調べ)、3万円前後の買い物というのは確かによそ様には勧めにくい。
しかし、この点についても以下のように発想を切り換えてみてはどうだろうか。(注)
(注)以下の議論はあくまで、親指シフトに「漠然とした関心や憧れを持っている人」についての議論である。
親指シフトの志願者の中で、書くことを業務にしている人や(資格取得などの)明確な目的意識を持っている人については、多少割高ではあってもしっかりしたキーボードを買うことに対してさほど抵抗はないだろうから、最初からストレートに専用機種を勧めればいいだけの話である。
・「変わり者」のアイデンティティ消費(投資)
前にも述べたように、最近になって親指シフトを志すような人は、相当の「変わり者」である可能性が高い(笑)。しかも、「平凡な一般人からは一歩抜きんでていたい」という強い上昇志向の持ち主が、少なからず含まれているように思う。(注)
(注)勝間女史の影響で親指シフトに手を出そうというような人は、その典型だろう。
こういったタイプの人は、他人と差をつけるためなら多少の支出は厭わないものである。専用キーボードについても、「それを使いこなしている素敵な自分」というイメージをうまく植えつけることができたら、案外あっさりと購入してしまうのではないだろうか。(注)
(注)ただし、こういったイメージ消費的な行動を取るのは、ある一定世代の人だけであって(たとえばバブルを経験したことのある世代?)、デフレ環境の中で成長してきた若者世代には、この議論は当てはまりにくいのかもしれない。
・「割高」であることの隠れた効能
また、3万円前後(据え置き型)というのが絶妙の価格設定であるように思う。これが5万円越えとなると、いかに自己投資を厭わない御仁であっても、さすがに購入には躊躇するだろう(今ならかなりハイスペックなパソコンが1台買える)
逆に、格安キーボードと同等の1000円を割るような価格であれば、稀少価値がなくなってしまって、親指シフト習得の意欲が減退してしまうかもしれない(誰もが入手しやすくなることで、「他者との差異」を演出しにくくなるわけだから)
3万円というそこそこに値の張る価格であるからこそ、親指シフトと専用キーボードの稀少性、そしてそれに関与する「稀少な私」というイメージが保持される。そして、その「稀少な私」の実現に向けて、NICOLA習得のモチベーションも維持されやすくなるだろう。
また、「(3万円の)元を取ろう」という誰もが持ち合わせているバランス感覚も、学習意欲の維持・促進に寄与することになるのかもしれない(1000円を割っていたら、そうしたバランス感覚も作動しにくくなるだろう)
つまり、現行の専用キーボードのお値段(3万円)は、一見すると親指シフトの敷居を高くしているように見えるが、実は一定数の「野心的な変わり者ユーザー」を引きつけ、むしろその学習効果を高める方向に作用しているとも考えられるわけである。
・初心者にこそ、専用キーボードを
したがって今後は、NICOLAの初心者や未学者に対して、むしろ積極的に専用キーボードの購入を勧めようではないか。それは初心者のためになるだけでなく、販売元の富士通のためにも、ひいては親指シフター全員のためにもなるのだから。(注)
(注)NICOLA制定の経緯を考えると、「富士通の専用キーボードだけを推すのは好ましくないのではないか」という人もいるかもしれない。しかし、これについてもそろそろ発想を転換してよい時期に来ているのではないだろうか。
親指シフト関連の製品開発から他社が(事実上)撤退してしまっている以上、あとは富士通さんに頑張ってもらうしかない。その事業継続のためにも、初心者には専用キーボードを購入するよう積極的に推奨して、一定の需要を確保すべきだと思うのである。
価格問題についての追記(2011年10月27日)
3万円のキーボードがけっして高い買い物ではないことは、今はやりのスマートフォンを例に上げると、相手に伝わりやすくなるかもしれない。
スマートフォンの場合、本体の価格に加えて、基本料金やら通話料やらが毎月かかる。たとえばこちらのサイトによれば、2年契約でかかる費用の総額を計算すると、13~18万円もの大金がかかることになるようだ。(注)
(注) しかも、携帯機器の場合、紛失や故障の可能性が極めて高い。そうなったら当然、修理代やら新しい機種の料金やらが上乗せされることとなる。
また2年後の契約更新時には、おそらく新しい機種を買うことになるだろうから(この分野は成長が早いので、古い機種は見劣りがするように感じてしまうはずだ)、5年間のトータルの出費は30万円を軽く越えることとなりそうだ。
これに対してキーボードの場合、コーヒーをこぼすようなアホなことをしない限り、まず故障するおそれはない。大切に使えば、5年(うまくすれば10年近く)は楽にもつ。パケ代などの余分な経費もかからない。(注)
(注)万一、親指シフトの習得に失敗しても、通常のJISキーボードとして使用していくことができることも、ここで付言しておこう。
このように考えると、多少割高ではあってもしっかりとしたキーボードを購入することは、(知的生産に従事する者にとっては)けっして高い買い物にはならないことがお分かりいただけると思う。
もっとも、こうしたベタな論法が功を奏するかどうかは、また別の話だが…
(以下、次号)
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コメント
精力的な記事のアップ、感謝します。
実際にさまざまな経験をされて、その場面場面でどのように感じて、どのような判断をしたかが詳細、入念に書かれているのは大変役に立つものです。親指シフトを試そうとする方にとって貴重なものです。
おっしゃられることはほぼ同感です。特に専用キーボードに対する考え方は同感です。親指シフトに関心を持っている人はみんなよく読んでほしいと思います。
その上で少しニュアンスがあるとすると、専用キーボードの価格に対するものかもしれません。私はやはり、専用キーボードも安くなってほしいし、富士通以外からも出してもらって価格や品質で競争してほしいと思っています。一つには、親指シフトであることが本質的に価格を上げる要因になっているとは私は思わないためです。専用ワープロの時代を思い出してみれば、親指シフトとJISかなでは価格の差はなかった訳ですから。
もちろん、それは当時はハードの値段も高く、したがってキーボードにかけられるコストも高かったからできたという面も大いにあることは確かです。もう少しいえば、文字入力をどうしたら楽にできるかということにたいする関心が高かったためともいえます。そのような関心が薄れたために単なるコスト切り詰めに走らざるを得なかったということだと思います。
何らかの大きなプッシュがあって、親指シフトが普及すれば、専用キーボードを作るための固定費も軽減され、値段も下がる。それがさらに親指シフトの普及を促進するという好循環ができればいうことがないわけです。
そうして大きなプッシュが何であるかは私は分かりません。ましてやそうしたものを私が作れるわけではありません。それでも私はここしばらくは「ベタな論法」を続けていくつもりです。
投稿: 杉田伸樹(ぎっちょん) | 2011年11月 2日 (水) 00時21分
杉田さま
このような極私的な記事にコメントをいただき、まことに恐縮至極です(汗)。こちらも今回のシリーズの執筆にあたり、杉田さまのツイートやブログをいろいろと参考にさせていただいております。
さて、専用キーボードの価格の件ですが、私も確かに「もう少し安くならないものか」とは思います。
ただ富士通サイドからすれば、この価格は採算が取れる(あるいは、過度な赤字にならない)ギリギリのラインなのかもしれません。
ユーザー層の拡大を狙って値段を下げても、もし採算が大幅な赤字となったら、それこそ親指シフト関連部門の縮小・廃止へと直結しかねない。そんな思惑もあってのこの値段なのではと、素人の筆者は邪推しております。
もちろん、他社が参入して市場競争が展開されれば、品質や値段が多少は改善されることもあるのかもしれません。
しかし、携帯やスマートフォンのように、2~3年で新しい機種に買い換えていくことが前提となっている製品とは異なり、キーボードというのは(上でも書いたように)一度手に馴染んだ機種をずっと使い続けていくという人が多数派でしょう(数年ごとにキーボードを買い換えていくというのは、相当のマニアだと思われます(笑)
このように(他のIt製品と違って)キーボードが市場での回転を期待できない製品である以上、他社がなかなか参入しようとしないのも致し方のないことなのかもしれません。
私自身は、専用キーボードというのは一種の高級品として、市場のニッチをしっかり確保していくスタイルを取らざるを得ないのではないかと思っています。
そして、本気で親指シフトをマスターしようと思っている人や、書くことに関心を持っている人は、多少値が張っても良い製品は購入する…。そんな風に楽観視もしております(甘いと言われればそれまでですが…)
もちろん、現状のままではユーザー層が縮小していくだけですから、一般ユーザーを巻き込んでいく手立てが必要なことは確かです。それ(杉田さんのおっしゃる「プッシュ」)が何なのか、私自身もよく分かりません。
この問題については、後日、シリーズの別の記事で検討させていただきたく思います。
以上、長くなりましたが、取り急ぎご返答まで。
投稿: shibue | 2011年11月 2日 (水) 14時46分