縦書き表示導入記(6) 表示様式の指定問題
6・1 表示様式をあらかじめ指定すべきか
ブログに縦書き表示を導入してから、文章の表示形式について否応なく敏感にならざるを得なくなった。一応下書きの段階では、縦横どちらの表示でも読める形式で書こうとはしている。しかし、以前にも書いたように、縦書き/横書きに相応しい文章のジャンルというのは、れっきとして存在する。文学や法律系の文章は縦書きの方が向いているし、自然科学やIT・経済系の文章は横書きの方がフィットするだろう。
縦横のどちらでも読める形式で書くということは、縦書き/横書きに最適な書式を(ある程度は)断念するということでもある。果たしてそれでいいのだろうか?それよりも最初から縦書き/横書きに最適な書式で記事を書いて、それをアップする際に望ましい表示形式を指定する(たとえば、タイトルなどに(縦)のような目印をつける)方がいいのではないか?縦書きにも横書きにもフィットする統一的な記法というのはあり得ないのか?いずれの答えも、現時点では出ていない。
6・2 形式は内容を規定する?
ただ、そもそも筆者が縦書き表示を導入しようと思ったのは、ブログに新鮮な空気を入れるためであった。すなわち、表示を切り替えることで全体的な印象が変わったり、いつもとは異なる視点で読むことで(これまで読み飛ばしていた箇所に気づくなど)テキストの理解の仕方にも変化が生じたりするかもしれない。そのようなある種の「異化効果」を期待して、縦書き表示を導入したのである。
然るに、もし予め表示形式を規定してしまうとすれば、そうした「異化の芽」を最初から摘んでしまうこととなりかねない。もちろん「竹取JS」は表示の切り替えが自由だから、少なくとも読み手サイドはそうした規定の影響は受けにくいだろう(こちらの指定を無視して、表示を切り替えればいいだけの話である)。しかし書く側、すなわち筆者自身が書く内容に何らかの「縛り」をかけてしまう可能性は十分にあり得る。「形式」と「内容」というのは、どこかで密接にリンクしているからだ。
例えば、横書きに最適な文体で文章を書いていると、(縦書きで効果を発揮する)繊細な心理描写や抽象的な思弁論理といったものが展開しにくくなる。おそらく横書きの文章というのは「簡潔で分かりやすいこと」を支配的なコード(お約束)としているため、それにそぐわない要素は自ずと文中から排除ないし抑圧されてしまうのだろう。逆に、縦書き表示では英数字の使用がどうしても憚られるため、数式を駆使した論証であるとかプログラミングの説明などは、そもそも最初から(縦書きの)テーマから外れてしまいがちである。
このように縦書き/横書きを最初に指定することで、書く内容やテーマも自ずと限定されてしまうということが、実際に起こり得るわけだ。内容がそのように初めから枠づけられてしまうのであれば、表現の多様性を目指して縦書き表示を導入した意味がなくなってしまう。
6・3 当面の対処法
ではどうすればいいか?大切なのは、縦書き/横書きに(あるいはその双方に)最適な記法をすぐに確定することではない。それを模索するプロセスにこそ、意味があるのである。たとえば、下書きの段階で縦書きと横書きを切り替えているうちに議論の「アラ」が見えたり、書くべき内容を新たに発見したりすることもあるかもしれない。それは既に書いた記事にも当てはまることだ。
とりあえずは、テーマや内容を予め規定することなく、様々な表示形式で文章を書いてみる。そして、表示の切替による異化効果を楽しむ。そのプロセスを積み重ねていくうちに、縦書きにも横書きにも(それなりに)フィットした書式や文体というのも、自ずと確立されていくことだろう。今はそんな風に楽観視している。
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