縦書き表示導入記(5) 顔文字問題
5・1 縦書き時の違和感
最近は(特に携帯の分野で)絵文字が発達したので、顔文字の重要性は以前に比べてやや薄れた感がある。とはいえ筆者のようなパソコン・ユーザーにとっては、顔文字は依然としてブログの表現に彩りを与えるための重要なツールであり続けていた。
ところが今回の縦書き表示の導入によって、顔文字の使用を再検討する必要に迫られることとなった。周知の通り日本の顔文字は、そのほとんどが半角記号によって構成されている。このため上記の半角英数と同様、ほとんどの顔文字が縦書きにすると横倒しになって表示されてしまうのである(^_^;(こんな感じ)
もちろん比較的単純な図像であるため、横倒しになっても判読そのものはそう難しいことではない。しかし横書き時に比べると、やはり不自然な感が否めないのである。おそらく認知処理の過程で余分な工程(縦書きのイメージを横書きのものに変換ないし翻訳する)が加わってくるせいだろう。
もちろん、慣れてしまえばそうした違和感も(多少は)解消されるので、そのまま使用し続けるというのもひとつの選択肢ではある。しかし、縦書きを初めて見る人にはやはり違和感を与えてしまうだろうし、横書きの時から従来の顔文字表示に不満を覚えることが多かったので(注)、これを機に別の表現様式を模索することにした。
(注)半角記号で構成されている顔文字は、文末に来ると禁則処理によって強制的に次の行頭へと送られてしまう。それによって感情表現が間延びしてしまうということがよくあった。また全角記号を含んでいる顔文字(例えば、m(_ _)m)が文末に来ると、途中で分断されて何の記号だか分かり難くなったりする。
しかし最大の問題は、文体との適合性だ。つまり、筆者がよく使う堅めの文体にはどうもフィットしないのである。論文のなかに顔文字が入っているような、そんな「そぐわなさ」を感じさせるのだ。
これはおそらく、顔文字というのがメールやチャット・掲示板といった、他者とのコミュニケーションを志向するメディアのなかで育まれてきたことと関連しているのだろう。つまり顔文字というのは、対話型の文章に最適化された表現様式であるというわけだ。
もちろんこのブログの文章も、自分自身(あるいは、頭の中で想定された読者)との対話の中で紡がれてきた「対話型の文章」であると言えなくもない。しかし、自己内対話(モノローグ)と他者との対話(ダイアローグ以上)とでは、自ずと文体や表現の力点が異なってくる。
たとえばダイアローグ型の文章では、相手の理解や共感を得るためによりコミュニケイティブな文体(「ですます調」の使用や感情表現の重視、等々)が採用される傾向にあるのに対し、モノローグ型の文章では意味や情念が過度に込められた文体が使用されがちだ(おそらく、自己内対話という相対的に閉じられたコミュニケーション・システムの副産物だと思われる)。
このブログにどうも顔文字がそぐわないのは、とかくモノローグへと傾斜しがちな、筆者の自己完結的な文体(および精神性)に原因があるのだろう。なんとも侘びしい話である…(涙)
5・2 欧風顔文字
さて、従来の(日本型の)顔文字に代わる表現手段としてまず浮かんできたのが、西欧型の顔文字である。エモーティコン(emoticon)あるいはスマイリー(smiley)と呼ばれるそうだが(こちらを参照)、日本のものよりシンプルで、左に90度傾いた形で解読するものが一般的だ。
しかし、これらが日本の顔文字の代用品にならないことはすぐに分かった。まず、通常の横書き表示では判別が難しい。顔文字だと気がつかなければ、誤記と勘違いされる可能性もある。
しかしそれ以上に問題なのが、その圧倒的な表情の乏しさ(笑)。左90度に傾いているので本来であれば縦書きにフィットするはずなのだが:-)、下手をすると横倒しになった日本の顔文字よりも表現のインパクトに欠けたりする(^_^;。まあ、使用している記号の数が少ないので仕方のない面もあるのだが、日本の顔文字の豊富な品揃えを知っている身からすれば、どうしても表情に乏しく見えてしまう。
もちろん、欧風顔文字にもささやかなメリットがある。図像がシンプルであるため、(視覚的にも意味的にも)本文の読解の邪魔にはなりにくいのである。とはいえ、横書き時のリーダビリティと全般的な表情の乏しさを考えると、従来の顔文字から乗り換える気にはやはりなれなかった。
5・3 (漢字)記号
で、結局行き着いたのが、感情や状況を表現する漢字を括弧でくくって呈示するというやり方。(笑)(汗)(涙)といった具合である。これもネットではよく使われる表現様式だが、なぜかこれといった呼び名がない。とりあえず本稿では「(漢字)記号」と呼んでおくことにする。
(1)メリット
(漢字)記号の最大のメリットは、やはり縦書きと横書きとで表現に差が生じにくいことだろう。たとえば顔文字の場合、横書き時に与える表現のインパクトはなかなかのものがあるが、(上述の通り)縦書きにするとリーダビリティがガクンと落ちてしまう。しかし(漢字)記号の場合は、こうしたブレがほとんど生じない。縦書きと横書きでほぼ同じ表現効果が見込まれるのである。
また、表記がシンプルで見た目がすっきりしている点も、(漢字)記号のメリットのひとつだろう。顔文字の場合、場合によっては少しゴチャゴチャした印象を読者に与えてしまうことがある(文末でなく、文中で使用する場合など)。また、使用するフォントによって顔のイメージが極端に変わるケースも少なくない。たとえばメイリオで顔文字を表示させた場合、他のフォントに比べて横幅が広いので、やや大顔面?になってしまう。(漢字)記号ではそういったことはまず起こらない。
(2)課題
・曖昧さが許されない
このようにメリットの多い(漢字)記号だが、もちろん課題もいくつかある。まず、顔文字に比べて意味の限定度が高いため、曖昧な使われた方というのが許されないこと。例えば筆者がよく使用する顔文字の(^_^;は、「自嘲」「軽い当てこすり」「呆れ」「ちょっとした驚き」「焦り」「詠嘆」など、様々なインプリケーションを持たせることができる。さらには、そのあたりの解釈を読み手に丸投げしてしまうことも可能だ。
ところが(漢字)記号となると、そうはいかない。一応、この顔文字に対応するのは(苦笑)だと思うのだが、「自嘲」や「呆れ」「当てこすり」はともかく、「焦り」や「驚き」の意味をそこに含めるのは難しいだろう(これらについては、(汗)あたりが適任だ)。また、「軽い当てこすり」のつもりで使った(苦笑)が、相手には「強い当てこすり=嫌味」として受け取られてしまうケースもある。いずれにせよ、顔文字のように「曖昧にほのめかす」ということは、(漢字)記号は苦手なようだ。
・コンテキスト・マーカーと鬱陶しさ
またこれは顔文字にも当てはまることだが、(漢字)記号の過度な使用は、読み手をその文章から遠ざけてしまう方向に作用する。一言でいうと「鬱陶しい」のだ。(注)
(注)もともと顔文字や(漢字)記号は、その文章(テキスト)がどのような文脈(コンテキスト)に置かれているのかを指し示す「コンテキスト・マーカー」として、ネット環境で自生的に発達したと考えられる。
通常の対面的なコミュニケーションでは、相手の表情や口調などから会話の脈絡(コンテキスト)を把握し、発言の真意を理解したり、その場に相応しい発言をしたりすることが可能となる。この場合、表情や口調・場の雰囲気といったものがコンテキスト・マーカーに相当するわけだ。
これに対してネット上のコミュニケーションでは、コンテキスト・マーカーの利用がかなり限られてくる(口調などの聴覚情報や表情などの非言語的な視覚情報は、通常のネット環境ではほとんど入手できない)。基本的にはモニターに表示された文字列(テキスト)から文脈(コンテキスト)を把握せざるを得ないわけで、文脈を把握し損なったり(その結果として)相手とトラブルになったりするケースも少なくない。
こうした状況を避けるために、「この文章がどのような脈絡で書かれているのか」を文中で明確に指定する慣習が、ネット上で次第に確立されていったと考えられる。顔文字や(漢字)記号の使用は、このような「文脈」の下で理解されるべきものなのであろう。
上の注でも書いたように、本来、顔文字や(漢字)記号は、文脈(コンテキスト)の把握を助けるための補助ツールである。逆にいえば、テキストの内容からじゅうぶんに文脈が把握できるのであれば、わざわざこれらのツールを使用する必要はないわけだ。
おそらくこれらのツールを多用する人は、「自分の気持ちが相手により伝わりやすいように」という親切心からそうしているのだろう。しかし、「この文章はこう読んでね」「このテキストはこういうつもりだから」とあからさまに繰り返されれば、読む側もウンザリしてくる。「親切」というのはそうそう相手に押しつけるものではない。
また、こうしたコンテキスト・マーカーに過度に頼るということは、それだけ書かれた内容に不備があるということでもある。文章がじゅうぶんに練られているのであれば、そのようなマーカーを使わなくても、自ずとコンテキストが明らかになるはずだからだ。たとえば、やたらと(笑)が語尾についた文章をネット上でもよく見かけるが、この手の文章はたいてい面白くない。読者を笑わせたければ、自分が笑う前に、書く内容をまずは工夫すべきなのである。
コンテキスト・マーカーというのはあくまで、主役であるテキストを引き立てるための脇役たるべきものであって、それ自身が主役となってはならない。(笑)を多用する人間の一人として(笑)、自戒を込めて明記しておく次第である。
5・4 小活
とまあいろいろ書いてきたけど、(漢字)記号がなかなか使い勝手の良いコンテキスト・マーカーであることには変わりはない。漢字を重ねたり(怒怒怒)、他の数字や記号と組み合わせる(怒*3)ことで、意味を拡張できるのも魅力的だ。このようにまだいろいろと工夫の余地のあるツールだと思うので、今後も文章の嫌味にならないよう留意しながら、この記号とつきあっていきたい。そして、その成果?については、このブログで追って報告していきたいと思っている。
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