リニューアル・ネタ(2)~見出し一覧~
1 目次付きのブログ?
前回に引き続き、ブログのリニューアル・ネタを一席。
周知の通り、このブログは長文の記事が多い。しかも、一つの記事の中で複数のテーマが論じられているというケースがほとんどだ。このため、ワープロについている「しおり(目次一覧)機能」のようなものがブログでも実現できないものか、常々思っていた。目次から読みたいテーマの見出しへとジャンプできれば、リーダビリティが格段にアップするはずだからである。
しかし、冒頭に目次がついているブログというのは、ネット上ではあまり見かけたことがない。きっとプログラミングやHTMLについての高度な知識が必要なせいだろう。そんな風に思って、しおりの実装についてはほとんど諦めかけていた。つい最近までは。
2 facetさんの見出し一覧スクリプト
連休中、ブログのリニューアルにかまけていたことについては、前回の記事でも報告した。とりわけ、「記事タイトル一覧」の作成についてはかなり悪戦苦闘したわけだが(最終的には失敗)、その過程でたまたま出会ったのがfacetさん作の「見出し一覧を生成するスクリプト」である。
詳細についてはこちらの記事を参照いただきたいが、要は文中から見出し要素を抽出してその一覧をリンク付で表示するという、ワープロのしおり機能をほぼ完全に実現してくれるスクリプトなわけだ。
しかも市販のワープロとは異なり、いろいろとカスタマイズ可能なのがありがたい。一覧を生成する場所を変更したり、(このブログのように)ふだんは一覧を折りたたんでおくこともできる。スタイルシートに手を加えることで、一覧表示のデザインを自分好みのものにすることも可能だ。
おかげで、筆者が以前から望んでいたフォーマットでの「目次付きブログ」をようやく実現することができた。これで記事の執筆にも自ずと力が入るというものである(文章の長さについてもあまり神経質にならずに済むしね)。
というわけで、このように貴重なプログラムを開発し、しかもそれを無償で提供してくださっているfacetさんには本当に感謝している。この場を借りて御礼申し上げます。
3 課題
3・1 リッチテキストの陥穽
ただ、ひとつ大きな問題が残っている。これまでアップした記事では、見出しを示すための処理(タグふり)がいっさいなされていない。つまり、今のままでは過去ログの目次(見出し一覧)がちゃんと表示されないわけだ(汗)。これではせっかくの機能も宝の持ち腐れである。
また見出し以外にも、見かけ上の判断だけで無意味な改行を連発したり、注のインデントを引用タグ(blockquote)で代用したりといったルール違反を重ねているため、スタイルシートを修正した現在、過去記事の表示がかなり乱れる結果となっている。
なにしろブログを開設した当初はド素人だったから、HTMLのことなど一切無視して、ひたすらリッチテキスト・モードで記事を書いてはアップしていた。そのツケが今になって現れてきたわけだ(汗)。
仕方がないので、これから全ての記事を少しずつ修正していこうと思っている。一つの記事を手直しするのにかかる時間がだいたい15~20分程度。一日3~4件(一時間)のペースで作業を進めるとして、全ての記事を修正し終えるまで優に一月以上はかかる計算だ(涙目)。まあ、ゆっくりコツコツ直していくしかないのだろう。
3・2 急がば回れ
それにしてもこういうことがあったりすると、「急がば回れ」という古人の格言が身に染みて思い出される。これまで筆者はずっとHTMLやプログラミングには手を出さずにきた。ITの専門家になるわけでもないし、リッチテキスト・モードでも十分ホームページやブログは作成できるのだから、それでいいじゃないか。そう思ってきたのである(素人の典型的な発想ですな(苦笑))。
しかし、今回のリニューアル作業を通じて考えが変わった。HTMLやスタイルシートに否応なくつきあわされているうちに、これらの言語がきわめて明確な論理構造を持っていること、基本的な文法さえマスターすれば(リッチテキストよりもはるかに容易かつ正確に)イメージ通りのページを作成できるということを、身をもって実感したからである(「おせーよ」の声あり)。
たしかにこれらの言語は、最初のうちは意味不明で取っつきにくい。しかし、試行錯誤の経験を積み重ねていくうちに、少しずつその意味がわかるようになり、その過程で、ウェブ・ページのメカニズムについてのより本質的な理解ももたらされることになる。
逆に、リッチテキストの「目先の取っつきやすさ」というのは、(長い目でみれば)ウェブの本質的な理解からユーザーを遠ざける役割を果たしているのかもしれない(筆者自身がまさにそうだった)。そしてそのツケは、結局はユーザー自身が支払うことになる(機能過多な市販のソフトの購入で懐を痛めたり、専門家に高い授業料やメンテナンス料を支払ったり、堅くなった頭で一から知識を仕入れ直したりといった形で)。目先の利益や便利さに飛びつくと、後々になって損をする…。まさに古人は正しかったわけである。
3・3 無駄な知識などない
思えば、HTMLやプログラミングの講義や実習は、大学でいくらでも自由に登録することができた。しかし、自分の専攻には直接関係ないのと、何よりも面倒くさそうだったので、それらの単位は結局取らずじまいだった。なぜあの時、こういった授業や実習に出ておかなかったのだろう?今ごろになって後悔している。もしHTMLやプログラミングについての基礎的な知識があれば、筆者の現在の生活も、もっと豊かなものになっていたかもしれないのに、と。
やはり若いうちは、貪欲に知識というものを吸収しておくべきだ(たとえそれが自分の専門や職業・生活に直接関係がなさそうであっても)。最初のうちは無味乾燥だったりチンプンカンプンだったりしても、辛抱強くつきあっていくうちに、少しずつ心身に馴染むようになり、やがては自分を新たな地平へと解き放ってくれる契機(きっかけのようなもの)を、その知識は与えてくれるのかもしれないのだから。
そんな当たり前の真実に、今ごろになって気づくおろかなわたくしでありました…
~以下、リニューアル・ネタ続く~
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