偉大なるニュートラル(6) ZONEの負の影響
0 はじめに
ZONEというグループが実夕にとっていかに重要な存在であるかについては、もはや贅言を要すまい。その音楽性だけでなく人間性も含めて現在の彼女の礎(いしずえ)を築いたのは、ひとえにスタジオ・ランタイムでの鍛錬とZONEとしての活動であったはずである。
彼女がソロになってからもZONEの歌を歌い続けているのは、もちろんプロモーション上の効果という功利的な側面もあるのだろうが、それ以上にZONEというグループやその楽曲に対する彼女自身の深い愛着から来ているものと思われる。
そのように現在の実夕の拠り所であり、また彼女に様々な恩恵(知名度、人脈、経済的な見返り、等々)も与えているZONEという存在が、しかし同時に彼女のソロ活動の阻害要因ともなっているのだから皮肉な話だ。今回はZONEが実夕に及ぼしている様々な「負の影響」について、あれこれ考察してみたいと思う。
1 ライフ・ストーリーに及ぼす影響
・悲劇性の相殺
例えば、前章で記した歌姫の条件の一つである「人生のドラマ性」について考えてみよう。ZONEの解散後、実夕がそのショックのため暫くのあいだ歌が歌えなくなってしまったこと・歌手以外の道も模索しようとしていたことについては、彼女自身の口からしばしば語られてきた。
しかし、こと人生の「悲劇性」という点で言えば、相方のTOMOKAの方がはるかにその度合いが高い(ように見える)ため、外部の人間には実夕の苦悩が相対的に軽いものに感じられてしまう。実際、彼女が比較的順調にメジャー・シーンに復帰したような印象を持っている人は、実夕の熱心なファンの中でも少なくないのではあるまいか?
これは本人にとっても不本意であろうし、シンガーとしてのカリスマ性を削ぐという意味でも、彼女にとって不利に作用しているように思われる。(注)
(注):もっともつい先日、TOMOKAの復帰が正式に発表されたので(こちらを参照のこと)、実夕の悲劇性が目減りしてしまうという作用は、今後多少は緩和されるかもしれない。
2 ボーカル面の影響
2・1 「旅立ち…」からみるZONEのボーカル力
・「旅立ち…」とは
しかし、それ以上に実夕にとって深刻なのは「歌」の問題であろう。筆者の考えでは、ZONE時代の楽曲(特にそのボーカル面)の完成度の高さが実夕のソロ作品の完成度を(現時点では)やや上回っているため、ZONEからの流れで実夕の作品を聴いた者は相対的に不満を感じてしまうと考えられるからである。
この点をZONEの事実上のラストシングルである「旅立ち…」という曲に照らして検証してみよう。(注)
(注)周知の通り「旅立ち…」は、ZONEのラストアルバム『E~Complete A side Singles~』の「初回生産限定盤」 に収録された作品である。もちろん、この曲は実際にシングル化されたわけではない。おそらく、将来のシングル候補曲として町田紀彦氏が温めていた作品の一つだったのだろう。
しかし、ZONEの解散が急に決まったため、4人の旅立ちにふさわしいこの曲が急遽リスト・アップされ、卒業記念(?)として「笑顔日和」と同時期にレコーディングされることになったと考えられる。
おそらく「笑顔日和」が15枚目のシングルとなることはかなり早い時期(MIZUHOがZONE脱退を申告する以前?)から決まっていたであろうから、「旅立ち…」こそがZONEの事実上のラスト・シングルであると見なしても、何ら問題はあるまい。この曲が「シングルA面集」である『E』に収録されたという事実が、この主張を裏付けしている。
『E』(初回生産限定盤)に収録された「旅立ち…」には全員がボーカルを取るZONEバージョンの他に、4人のソロ・ヴァージョン(ラストの部分の歌詞がそれぞれ違っている)も収録されている。これらのバージョンを聞き比べることで、4人のボーカルの特徴が明確に把握できるわけである。
・各メンバーのボーカルの分析
まず、もっとも技量というものを感じさせないのがMIZUHOである。ビブラートも使わず、ただ正確に音程を辿っているだけのようにも聞こえる。しかし、その淡々とした歌声から却って当時の彼女の心境がうかがえるような気もするから、ボーカルとは不思議なものだ(筆者の思い入れから来ているだけなのかもしれないが…)。
次にTOMOKAは、この曲の世界観をうまく掴めていないように感じられる。もし掴んでいたとしても、自分の感情や想いをうまくボーカルに乗せきれていないように聞こえるのだ。このため、切ないのか飄々としているのか判然としない、不思議な作品へと仕上がっている(まあ、これもTOMOKAらしいといえばTOMOKAらしいのだが…(笑)。おそらく、彼女がバラードを歌いこなせるようになるまでには、まだ時間がかかるということなのだろう。
大健闘しているのがMAIKOで、彼女のクリスタル・ボイスはこの曲の「切なさ」を見事に表現している。おそらく声量やテクニックという点ではMIYUやTOMOKAの方が上なのだろうが、こと「切なさ」の表現に関して言えば、MAIKOの破壊力は彼女たちを凌いでいるように感じられる。スタッフがMAIKOヴァージョンをラストに持ってきたのも宜(むべ)なるかなというところだ。
そしてMIYUだが、やっぱりうまい!この曲を完全に自分のものにしている感じである。例えば、ラストのサビで半音上げる箇所などは(全員がここで微妙に違った歌い方をしているので)おそらく町田先生あたりの指令でそうしていると思うのだが、あたかも自分のアドリブで歌っているように感じさせているのはさすがだ。
また、Aメロ・Bメロは丁寧に歌うことで「切なさ」を演出し、サビの箇所ではMIYUお得意の「力強き憂い」感を出すなど、表現力も確実にアップしていたことが分かる。4人の中でMIYUの歌唱力が抜きん出ていることを実感させられた次第である。
・ZONEマジック
ところが、この優れたMIYUヴァージョンと4人全員がボーカルを取るZONEヴァージョンとを聞き比べてみると、「作品のでき」という点ではやはり後者に軍配を上げざるを得ないのである。4人の個性的なボーカルが楽曲の最適な箇所に配置されることで、より完成度の高い歌世界が構築されているのだ。
このような「組み合わせの妙」によって作品の完成度が上がるメカニズムのことを差し当たり「ZONEマジック」と呼ぶことにすると、MIYUはこのマジックによって最も恩恵を受けていたメンバーであると考えることができる。歌唱力という点でやや劣るメンバー達と共に歌うことで、MIYUのボーカルが相対的に引き立つことになるからだ。
例えば、「旅立ち…」のZONEヴァージョンでMIYUはサビの部分を担当しているのだが、彼女のソロ・ヴァージョンよりもはるかにドラマティックに聞こえる。これは、直前のBメロを声質の細いMIZUHOが歌っているためであろう。(注)
(注)歌唱力にやや劣るからと言って、MIZUHOのボーカルがZONEにとって不要なわけではけっしてない。彼女の細くて柔らかい声質やビブラートを使わない歌唱法は、メイン・ボーカルとしては弱くても、バッキング・ボーカルとしては最適である。
とりわけ、彼女の声はユニゾンになるときその本領を発揮する。メイン・ボーカルとよく馴染みながら、けっしてその邪魔をすることなく全体に力強さを与えるのだ。トークでは出しゃばりなMIZUHOがボーカルでは出しゃばらない(笑)というのも何とも不思議な話だが、これも「ZONEマジック」の一環なのかもしれない。
なお、MIZUHOと正反対な効果を持つのが、MAIKOの歌声である。これについてはこちらの記事を参照のこと。
・「シクベ」の2つのヴァージョン
以上、「旅立ち…」という曲を素材にして、ボーカル面の「ZONEマジック」について検証してきた。ただし4人のボーカルの組み合わせとしては、この曲は最もシンプルな部類に属しており(おそらく作品を練り上げるのに十分な時間がなかったからだろう)、名作とされている他の楽曲ではさらに複雑な組み合わせが施されていることは、ここで指摘しておかねばなるまい。
例えばTAKAYO在籍時の「シクベ」がその代表格で、4人がボーカル・パートを分け合うだけでなく、2人組/4人全員でのユニゾンや二声のハモリが適宜そこに加わることで、詞の内容に見合った「素朴なノスタルジー」の世界が巧みに表現される結果となっている。
その後、TAKAYOの脱退とTOMOKAの再加入に伴い、「シクベ」のボーカル・パートは大幅に入れ替えられることとなるわけだが、MIYUが曲の大部分を歌うこの新しいヴァージョンは作品としてのまとまりや安定性こそ増したものの、オリジナルが持っていたあのノスタルジックな感覚を幾分か失ってしまったように感じられた。
「ZONEマジック」がいかに微妙なボーカル・バランスの上に成り立っているのかを、シクベの事例は端的に物語っている。
2・2 マジックの欠如がもたらすもの
・相対的不満
さて、こうした「ZONEマジック」に耳を馴らされたファンが実夕のソロ作品を聴いたとき何が生じるのか、もはや明白であろう。そう、ちょうど「旅立ち…」のMIYUヴァージョンを聴いたときと同じような物足りなさを覚えてしまうのである。
より詳しく説明すると、実夕の歌唱力(とりわけ表現力)はZONE時代よりも確実にレベル・アップしているにもかかわらず、そこには彼女のボーカルを引き立たせてくれる相方が存在しないため、実夕の歌の輝きがZONE時代に比べて相対的に伝わり難くなってしまうわけだ。
こうした「相対的不満」の影響をもろに被ったのが、3rdシングルの「茜」だろう。そのフォーキーでノスタルジックな曲調がなまじZONE時代の作品を想起させるため(おそらくアレンジャー氏は「柳の下の泥鰌」を狙ってあえてそうしたのだろうが)、かえって(「ZONEマジック」の欠如による)物足りなさをファンに感じさせてしまうという、皮肉な結果がもたらされることとなった。(注)
(注)実際、筆者などはこの曲を聴きながらついつい、「AメロをTAKAYOが、BメロをMIZUHOとMAIKOが歌っていれば…」などと、頭の中であれこれシミュレーションしてしまった(汗)。
もっとも「茜」について言えば、アレンジにさらなる問題があったのかもしれない。オリジナルの空エス・バージョンはもっとスロー・テンポで、前奏・間奏のアレンジもよりシンプルな作りになっていた。個人的にはこちらの素朴なバージョンの方が、実夕の思いがより良く伝わってお気に入り。機会があれば空エス・ヴァージョンの「茜」も、アルバムなどに収録していただきたいところである。
・詞の世界のミスマッチ
また、ZONE時代の歌詞に顕著だった「僕と君」のノスタルジックな世界(=町田ワールド)から、実夕のソロ作品で描かれている「今を生きる等身大の私」の世界への移行も、特に男性ファンにとっては彼女の楽曲への感情移入をしにくくしている一因であるのかもしれない。
おそらく女性ファン(とりわけ同世代の)にとっては、実夕のソロ作品(詞の世界)はきわめて自然で受け入れやすいものなのだろう。しかし、彼女のファンの大多数が男性と思しき現状では、こうした世界観の移行はやはり不利に働くのかもしれない。男性ファンの多くが求めているのは(町田氏の描くような)理想主義的な物語世界であって、「生身の女性のリアルな本音」はどちらかと言えば苦手だろうからだ。
ZONE時代に多くのファンを惹きつけることとなった助長要因が、ソロ作品の受容の阻害要因へと転化する皮肉な現象が、ここでも生じていたわけである。
3 今後の方向性について
以上、ZONEという存在が実夕のソロ活動に与えている「負の影響」についていくつか検討してきた。しかし、ZONEが実夕に大きな恩恵も与えていることは、もう一度ここで繰り返しておかねばなるまい。現在の彼女の知名度やファン層は、そのほとんどがZONE時代に由来しているはずだからである。
したがって、「ZONEの資産を継承しつつ、いかに実夕らしさを作品の中で打ち出していくか」が、今後の彼女の活動の大きな課題となるのだろう。
3・1 ソロデビュー後の迷走
そしてそれに関連して言えば、彼女の再デビュー後の歩みは、「ZONEのMIYU」を求めるファンからの要望と「長瀬実夕」としての個性を打ち出したい彼女自身の意向という二つの相反するベクトルに引き裂かれながら、その中間点をふらふらと迷走する心許ない軌跡を辿ったと言えるのかもしれない。それは彼女のルックスや曲調の変化をたどれば一目瞭然である。
1stシングルのジャケットやPVで見せた彼女のギャルっぽいメイクは、もちろん曲調に合わせる意味もあったのだろうが、それ以上に「ZONEのMIYU」とは違う私を見て欲しいという彼女の意向が強く働いていたことを示唆している。また、1stアルバム収録曲は、ZONE時代の楽曲をほとんど想起させないコンテンポラリーな内容のものが選曲されていた。
だが、おそらくファンからの不評が伝わったのだろう。2ndシングルの「Rose」あたりから彼女は髪をストレートに戻し、3rdシングルの「茜」ではアコギを抱えて歌うスタイルを取るなど、明らかにZONE時代のMIYUを想起させる方向へと軌道修正している。
しかし上でも述べたように、ZONE時代の楽曲やイメージに寄り添い過ぎた結果、かえって旧来のファンには「欠乏感」を感じさせてしまうことになるわけだから、イメージ戦略というのは難しい(注)。ここしばらく実夕に目立った動きが見られないのも、次の一手を探しあぐねていることの徴候なのかもしれない。
(注)このような「迷走」の背景には、実夕のプロモーションを担当しているCAM Entertainmentの経験不足の影響もあるのかもしれない。実夕はCAMが担当する初めてのアーティストだからである。
3・2 実夕の方向性についての提言
ただいずれにせよ、こうした「迷走」が長く続くことは、実夕のためにもファンのためにもならないであろう。デビューしてからそろそろ1年が経つことだし、ここらで今後の実夕の方向性をしっかり固め直してみてはどうだろうか。
筆者が提案したいのは、ルックスはZONE時代のMIYU(ストレート&前髪を垂らす)の延長線上に留めて(男性ファンへの配慮)、楽曲は1stアルバムに収録されたようなコンテンポラリーなもので固める(女性ファンへの配慮)、という路線である。イベントなどで「シクベ」などを1曲歌うくらいは構わないが、ソロ作品にZONEっぽい曲はあまり入れない方がいいだろう。
とりあえず当面はこうした体制で地道なプロモーションを続け、少しずつファン層(特に女性ファン)を拡げていくというのが、現在考えられるベストの方向性なのかもしれない。スタッフ・サイドの英断を望む次第である。
(以下、次号)
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