2006年から考えるMARIAの未来予想図(3) MARIAへの提言
これまで2006年のMARIAのライブについて筆者の感じたところを熟々(つらつら)と述べてきた。なぜ2008年の今、2年も前のライブのことをほじくり返しているのか、疑問に思われた方もいるかもしれない。
もちろん、MARIA欠乏症を補うことが当初の目的であったわけだが(笑)、今回ライブ音源を聴き直してみて、MARIAのライブをより魅力的なものにしていくためのヒントとなりそうなものが随所に散りばめられている…そのように筆者には感じられた。そう、「温故知新」という言葉にもあるように、未来の手がかりはしばしば過去に眠っていたりするのである。
そこで、今後のMARIAのライブや音作りにあたってぜひ念頭においていただきたい2つの点を、ここで指摘しておくことにしたい。
1 セミ・アコースティック編成の復権
1・1 セミ・アコースティック編成とは
ここで言う「セミ・アコースティック編成」とは、SACCHINがアコギに回った編成(あゆっぺはエレキのまま)のことを指す。2006年のライブでは、「碧色のユメ」と「眠れない三日月」がこの編成で演奏された。また、舞衣ちんと愛華マンのどちらかがベースを下ろしてボーカルに専念しているケース(「ママへ」「星の約束」)もこの編成に含めよう。
なお、ギターの二人が共にアコギに回った場合(「恋風」「キラリ夏」)は、「アコースティック編成」と呼ぶことにする。(注)
(注)「セミ・アコースティック」というネーミングは、ギターの種類とは関係ないので注意。また、エレキ・ベースとキーボードが使用されている以上、「アコースティック編成」というネーミングも厳密に言えば正しくないのだが、とりあえず今回は便宜上、そのように呼ばさせていただくことにする。
1・2 セミ・アコースティック編成の利点
実はこの「セミ・アコースティック編成」のとき、MARIAの個性がもっとも際立つのではないか。今回のライブ音源を聴きながら筆者はそんなことを思ったりした。それはこういうことである。
・サウンドの風通しの改善
MARIAの楽曲は、あまり音が重くなりすぎないよう、かなり緻密なアレンジを施されているのが通例である。ベースとギターがユニゾンで走ったり、キーボードとギターがハモリながら一体化しているというようなケースは珍しくない。このため、通常のエレクトリック編成の場合、各人が奏でている音を識別することがなかなか困難だったりする。
ところがこの「セミ・アコースティック編成」の場合、SACCHINがアコギに回ることで、音響空間にかなりのスペースが空くことになる。「サウンドの風通しが良くなる」と言い換えてもいいだろう。
それによって、一人一人の奏でる音色がより聞き取りやすくなる。例えば「眠れない三日月」のイントロなどは、全てのメロディーが複雑に絡み合っている様子を聞き取ることができる、数少ないケースの一つであろう。
またサチ姉以外のメンバーにとっても、自分の奏でるサウンドの余地が相対的に拡がるわけであるから、気分的にも演奏上の都合という点でも自由度が増すことになる。もちろんSACCHINはアコギの音色でその存在感を示すことができるわけだ。
このようにサウンドの風通しがよくなることで、演奏する側と聴く側の双方にメリットが生じることになるのである。
・アレンジの柔軟性
また、アレンジの柔軟性が増すのも、この編成の利点の一つであろう。アコースティックから擬似オーケストラに至るまで、一曲の中で多彩な音の風景を描き出すことが可能となるからである。
その最良の事例が「碧色のユメ」だろう。静謐なオープニングにはじまり、ドラマティックなエンディングへ向けてじわじわと移行していく「アレンジの妙」を、この曲で堪能することができる(詳細はこちらの記事を参照)。
1・3 編成の変化
・セミ・アコースティック編成の減少
このように、「セミ・アコースティック編成」はMARIAというバンドの個性を表現するのに最も適した演奏形態の一つであるように思えるのだが、どういうわけかこの編成で演奏された曲は1stアルバムには1曲も収録されなかった。
また、2007年のライブでもこの編成での演奏は「眠れない三日月」の1曲だけになっている(ちなみに、「アコースティック編成」の「恋風」と「キラリ夏」は共に再演されている)。
・減少の理由
なぜこの編成での演奏が減ってしまったのだろう?確かにこれまでセミ・アコースティック編成で演奏された曲のほとんどがバラードであったから、ライブの構成上、曲を絞り込まざるを得なかったということはあるのかもしれない。
しかし、それならば「恋風」を外して「碧色のユメ」や「星の約束」を入れるという手もあったはずだ。また、新たに1stアルバムに収録された曲にしても、たとえば「あなたに」や「いちばん星」などはセミ・アコースティック編成で演奏されても何ら不思議のない曲である。
おそらく、明石さんという腕利きのアレンジャーが加わることによって、エレクトリック編成でもかなりきめ細やかな音作りができるようになったということが大きいのだろう。あるいは、ライブでの負担(チューニングやPA関連)を減らすという意図もあるのかもしれない。
・セミ・アコースティック編成の復権を
しかし、これまでも述べてきたように、セミ・アコースティック編成の時、MARIAの楽曲が独特の魅力(なつかしい響きや寂寥感)を帯びることもまた事実なのである。
MARIAのメンバーには、今後この編成を念頭に置いた曲作り(バラードだけではなく、アップテンポの曲も含めて)にもぜひチャレンジしていただきたい。また、ライブにおいても、この編成での演奏をもう少し増やしていただきたいところである。(注)
(注)2008年の春ツアーは、この編成の曲を演奏する絶好のチャンスであった。しかし、セット・リストを見ると相変わらず演奏されたのは「眠れない三日月」のみ。このあたり、もう少し工夫が欲しかったところである。
2 相反するベクトルの止揚
さて、今後のMARIAのライブ(および音作り)について望みたい第二の点は、《06年的なもの》と《07年的なもの》を止揚(しよう)していただきたいということ。と言うと何やら難しそうに聞こえるが、さにあらず。以下、順を追って説明していこう。
2・1 2006年の方向性~強いロック志向~
・サウンド面
熱心なファンならとっくにご承知のこととは思うが、2006年と2007年とではMARIAの音楽的志向性は明らかに異なっている。
今回のライブ・レビューでも述べてきたとおり、06年のMARIAは明らかにロック志向が強かった。発売された2枚のシングルにしても、「空来~ソラ~」以外の3曲は、かなりハードロック色の強いアレンジとなっている。おそらく音楽的なモデルとなっていたのは、70年代のクラシック・ロックなのだろう。
・ヴィジュアル面
こうした「ロック色の強さ」は音楽性だけでなく、メンバーのファッションや髪型などからもうかがえる。おそらく「ボーイッシュでかっこいいイメージ」を打ち出そうとしたのだろう。また、メディアへの宣伝にあたっても「史上初のツインベース6人組ガールズバンド」というように、バンド色やロック色が強調されていた。
この年のMARIAのロゴ・マーク(下の図を参照)はゴチック様式で重厚な雰囲気を醸し出しているが、これはまさに2006年のMARIAの音楽性を象徴していたと考えられる。
・方向転換
以前にも考察したように、2006年のMARIAがやたらとロック・バンドであることを強調していたのは、ZONEとの差異化を図る必要性があったからだと筆者は考えている(こちらの記事を参照)。
しかし、初の全国ツアーでボーカルの二人が喉を潰してしまったことや、他のガールズ・バンドとの対バンの経験(注)から、メンバーもスタッフもこのまま「ハード・ロック路線」でやっていくことに限界を感じたのではないか?3枚目のシングル「HEART☆BEAT」から、MARIAは音楽的な方向性を大きく転換することになる。
(注)この年の10月21日、MARIAは「R&R NEWSMAKER “Mix Up!”;Vol.2」で中ノ森bandとTHE PINK☆PANDAと対バンしている。
2・2 2007年の方向性~ポップ色の強まり~
・サウンド面
2007年のMARIAの音楽性の変化を一言でいうなら、「ポップ色の強まり」ということになるだろう。「My road」のような重厚なアレンジの曲は減り、「夏えがお」や「HEART☆BEAT」のような軽快で疾走感のある曲が増えた。「HEY*2♪ブン*2♪」のようなハードな曲もアレンジが整理されたせいか、それほど重厚な感じには聞こえない。
また、「MABUDACHI」や「watch me」「Girl’s talk」のように、曲のバリエーションが増えたのもこの年の特徴の一つである。こうした音楽性の変化は、もちろんメンバーの志向性の変化もあったのだろうが、それ以上に曲をまとめ上げていったサウンド・プロデューサー明石昌夫氏の影響が大きいのだろう。
・ヴィジュアル面
同様に、メンバーのヴィジュアルやライブでのステージングも大きく変化する。例えばシングルのジャケットを見ると、2ndまではボーイッシュな雰囲気を強調するファッション(全員ジーンズを着用)だったのに、3rd以降はスカートを着用するメンバーも増えるなど、フェミニンでかわいらしさを強調するようになってくる。
ステージングも、ハードな楽曲は演奏されるものの、パワーで押すというよりはエンタテイメント志向の強いものへとシフトしている。
当然、こうした変化はロゴにも反映され、よりモダンでアブストラクトなイメージとなっている(80年代的)。
・06年と07年の比較
以上、2006年と2007年のMARIAの特徴を大まかにまとめたものが以下の表である。
2・3 日本のガールズ・バンドの置かれている状況
では、2008年以降のMARIAはどの方向性を目指すべきなのか?筆者は、《06年的なもの》と《07年的なもの》の中間にMARIAの目指すべき方向性があると思う。いや、単に両者の中間を行くだけではダメなのだ。それでは中途半端なものになってしまい、どちらか一方を望むファンからソッポを向かれてしまう可能性がある。
・カテゴリー化の力学
これについては以前も書いたことがあるのだが、日本の音楽ファンはどうも自分の愛好するジャンルへの帰属意識が強い人が多く、そのジャンルのテリトリーから少しでも逸脱するように思える存在はすぐに排除してしまう傾向があるのだ。
典型的なのが「アイドルの愛好者」と「バンドの愛好者」の敵対的な棲み分けで、アイドル・ファンはバンドの音楽を「高級ぶりやがって」と言って聴かないし、バンドのファンはアイドルの音楽を下に見て聴かないという、不毛な力学に引き裂かれているというのが実状だ。
たとえばZONEが登場した時など、特にバンド・ファンからの攻撃は酷かった。「楽器を弾かずに、持って踊るとはけしからん」というわけである(笑)。彼らにとって「バンドル」という存在は、自らの愛好するジャンルの聖性を脅かす闖入者のように映ったのかもしれない。
筆者からすれば、アイドルもバンド・アーティストもどちらも立派なエンターテイナーなのだから、すなおに両方楽しめばいいじゃんと思うのだが、一人のアイドルやバンド・アーティストに実存を賭けているファンにとっては、こうした日和見的な態度は許せないらしいのである(やれやれ)。
・対立カテゴリーを止揚する必要性
となると、MARIAのようにアイドル色とバンド色の双方を兼ね備えてしまっている存在は、こうした不毛な「カテゴリー化の力学」の影響を最も受けやすいということになる。アイドルの愛好者にとってもバンドの愛好者にとっても、MARIAという存在は中途半端に映ってしまう可能性があるわけだ。
MARIAに限らず、おそらく日本の多くのガールズ・バンドは、《アイドル的なもの》と《バンド的なもの》というファンからの相反する要求(カテゴリー化の力学)に引き裂かれ、そこから脱却するために苦闘することを余儀なくされるのだろう。
こうした状況を打破するためには、《アイドル的な要素》と《バンド的な要素》を単にミックス(融合)させるだけではダメで、両者をより高いレベルで「統合」(止揚)する必要がある。そうなって初めて、アイドル・ファンもバンド・ファンもともに唸らせることができ、より大きなファン層を獲得することができるのである。
・ガールズ・バンドのマトリックス
この<アイドル的>か<バンド的>かという軸と、統合度のレベルの高低をクロスさせることによって、以下のようなガールズ・バンドのマトリックスを作ることができるだろう(以下の図を参照)。
おそらく、二つの相反するベクトルを最もバランス良く統合したのがプリンセス・プリンセスであったろう。彼女たちも最初はアイドル・グループ(赤坂小町)としてそのキャリアを開始したわけだが、次第に実力派のガールズ・バンドへと変貌して行き、最終的には人気と実力を兼ね備えたスーパー・バンドとして大成することとなった。
プリプリを中央の頂点とすると、よりバンド寄りの統合を果たしたグループが例えば「SHOW-YA」であったと考えられる。一方、よりアイドル性の強いリージョンで高度な統合を果たしたのが「ZONE」であったと見なすことができるだろう。
・MARIAの方向性の推移
さて、MARIAについて考えてみよう。デビュー当初のMARIAはZONEとの差異化を図る必要もあって、上のマトリックスの右サイド方面を志向していたのだと思う。
しかし、こちらのサイドには既に多くの実力派ガールズ・バンドがひしめき合っていた。2006年に対バンした中ノ森BANDやPINK☆PANDAなどはその若手の代表格であろう。おそらく対バンをしてみて、中ノ森やピンパンには(ロック的な)パワーでは到底勝ち目のないことを、メンバーやスタッフは実感させられたに違いない。
2007年にMARIAが音楽的な方向性を変化させたのは、もちろんボーカルの適性の問題やメンバー達の音楽的な嗜好性の問題もあったろうが、それ以上に「ガールズ・バンド界」の内部におけるこうした力関係の影響が大きかったように思われる。(注)
(注)そのように考えると、MARIAの2007年の立ち位置戦略はけっして間違ってはいない。ZONE解散後、マトリックスの左方面は右サイドと比べると比較的層が薄いからである。
ただ、この立ち位置の難しさは上記のように、生粋のアイドル・ファンからもバンド・ファンからも無視されやすい点だ。それこそプリプリのようにバンド・ファンも唸らせるような実力を身につけないと、どちらのファンからもソッポを向かれてしまう可能性がある。
2・4 2008年以降の方向性について
・06年的要素と07年的要素の統合
さて長くなったが、改めて2008年以降のMARIAに提言したいのは、図のマトリックスが示しているとおり、2006年に追求しようとしたロック的/バンド的な要素と、2007年に試みたポップ/エンターテイメント的な要素を、より高度なレベルで統合していただきたい、ということ。
繰り返すが、二つの要素をただ混合する(たとえば、一つのライブでロック的な歌とポップな歌を交互に歌う)だけではダメで、二つの要素を自分たちなりに咀嚼してより完成度の高い曲を作ったり、一段高いレベルの演奏をしたりすることが求められるのである。
・立ち位置戦略の難しさ
その意味で4thシングルの「ゆらり桜空…」は、これまでの楽曲の中でも完成度が高く、この方向性に沿っていた作品と言える。
ただ2008年の春ツアーは、セット・リストやライブ・レビューを見る限り、大いに疑問が残った。つまり、ポップ/エンタテイメント路線がさらに進んでしまった気がしたのである(マトリックスで言うと、MARIA(2007)のポジションからさらに左へ行ってしまった、ということ)。
ガールズ・バンドの立ち位置戦略が難しいのは、一方の極に近づきすぎるとたちまち「ガールズ・バンド」としてのアイデンティティーを失ってしまうことだろう。例えば、ガールズ・バンドが左サイドに接近しすぎてしまうと、ガールズ・「バンド」であることの必然性が失われてしまう。単なる「アイドル」バンドなら別に楽器を持つ必要などないじゃん、というわけだ。(注)
(注)TAKAYO脱退後のZONEが人気を落としたのは、ファンの目にはZONEが左サイドによりすぎて、単なる「アイドル」バンドになってしまったように見えたからだろう。
その汚名を晴らすべく、新生ZONEは夏のツアーでTAKAYO在籍時以上にバンド(生演奏)にこだわったステージを見せてくれたわけだが、結局、解散によってそれ以上の展開を示すことができずに終わってしまった。もしZONEがあのまま継続していけば、プリプリに迫るようなレベルにまで到達できた可能性もあっただけに、残念でならない。
・08年春ツアーの問題点
今回のMARIAの春ツアーの評価が一部であまり芳しくなかったことの背景には、もちろん新曲が少なかったことやトーク/ネタの時間が長すぎたという問題もあるが、それ以上にMARIAの方向性に対する危惧の念(ポップ/エンタテイメント路線に傾きすぎ)が、特に音楽志向の強いファンの間で感じられてしまったからではないか。どうもそのように思えてならないのである。(注)
(注)エンタテイメント、すなわちファンを楽しませようという意気込み自体が間違っているわけではない。その方法が問題なのだ。今回のツアーでMARIAはいろいろな笑いのネタ(罰ゲームのモノマネとか、SACCHINのお色気ショーとか)を提供してくれたようだが、どうもファンを「楽しませること」を「笑わせること」とはき違えてしまっているのではないか?
我々は、MARIAに「笑いのネタ」ではなく「音楽」で楽しませていただきたいのである。例えば、昨年のツアーで聴けなかった曲をやってくれたら、それだけファンは十分「楽しめる」のだ。
もちろん「笑い」の要素はあっても全然構わないが、それはあくまでライブを盛り上げるための「手段」であって、それが「目的」となってはマズイ気がするのである。
まあ、筆者自身はライブには参加できなかったので、春ツアーについてのこれ以上の論評は慎むことにするが、もし今年の夏以降のツアーでも春ツアーと同じようなライブの構成や雰囲気だったりした場合は、MARIAは深刻な危機に陥る可能性がある。
スタッフやブレーンの方は、ぜひこうした事情を鑑みて、MARIAを正しい方向性へ向けて水路づけてあげて欲しい。一ファンからの切実なお願いでした。
(了)
あとがき
というわけで、2006年のライブからMARIAの未来予想図を描いてみました。MARIA欠乏症を埋めるべく筆を走らせ、いや、キーボードをたたき始めたのですが、書き始めるとだんだん止まらなくなってしまって、またもや膨大な量になってしまいました(汗)。こんなことを書いているヒマはないのに、なにやってんだ俺は…(自嘲)。
最後の方はMARIAに対してかなり手厳しい注文をつけた形になってしまいましたが、これもMARIA欠乏症と夏のツアーの予定が未だに決まらない不安から来る禁断症状とお考えください(笑)。
もっとも、この禁断症状も先日放映された「NAONのYAON」で少しは解消された気がします。一曲だけでしたが、メンバー達の気合いが画面から伝わってきて(愛華マンなど気合いが入りすぎて、コケかけていた(笑)、「これなら大丈夫だ」と胸をなで下ろしました(どんだけ甘いっちゅーねん)。
まあ、勝負は次のアルバムとライブですね。これでMARIAの未来はある程度見える気がします。メンバー、及びスタッフさんは、ぜひ気合いを入れてより良き作品を作り上げていただきたく思います。
なお実夕の続編については、また次の機会(6月末くらい?)にさせていただきたく存じますので、どうかご了承ください。
では、しばしごきげんよう。
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