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2008年5月15日 (木)

偉大なるニュートラル(1) 実夕のトーク力について

 先日(5月14日)放映された「グータンヌーボ」を見てつくづく思ったのは、やはり実夕にはいろいろな意味で「相方」が必要なのではないか、ということ。トークについてはもちろんだが、「歌」についてもパートナーの存在が不可欠なのではないか。そんなことを番組を視ながら思ったりした。

 そこで、今回は「実夕のトーク力」というテーマについて、若干の私論を述べさせていただくことにしたい。(注)

 (注):5月22日、一部、加筆修正しました。なお、実夕のボーカルについては、こちらを参照のこと。

1 トークにおける相方の必要性

1・1 「グータンヌーボ」を見ての印象

 実夕が人見知りであることや、トークが得意ではないことは、ZONE時代からのファンなら先刻、承知していることであろう。

 だから、冒頭の沈黙シーンにヒヤヒヤしたり、彼女の恋愛話(3年ほど交際していた?)に多少のショックを受けたりしながらも、実夕のキャラがZONE時代と本質的には少しも変わっていないことにホッとしたというファンも少なくなかったのではないか?

 少なくとも筆者はそうだった。ああ、まんまMIYUじゃん。そう思ったのである。

1・2 実夕の「面白さ」の正体
・ホンネ発言が(苦)笑いを引き起こす?

 しかし残念ながら、「トークにおける実夕の面白さ」が封印されてしまっていたことも、紛うことなき事実である。そこで、まずは彼女の「面白さ」の正体について、筆者なりに解き明かしてみることにしよう。

 実夕の面白さは言うまでもなく、その「天然ぶり」にある。より正確に言うと、「(B型人間や末っ娘に典型的な)邪心なきホンネ発言がもたらす面白さ」というところであろうか。彼女はただ自分の思ったことを正直に口にしているだけなのだが、それが妙におかしく聞こえるのである。

 しかも、相手の発言に対する何気ない返しが、あるときは「ボケ」に聞こえたり、あるときは「ツッコミ」や「毒舌」に響いたりというように、予測不能な乱反射をすることが多い。「ツッコミ」として聞こえた場合も、実夕に悪意がないことは明らかだから、毒を吐かれた方は(また、そのトークを見ている側も)ただ苦笑するしかない。そんな妙な面白みを、彼女は醸し出すわけである。(注)

 (注)ZONEの良き理解者であった竹内美保さんは、さすがにMIYUのこうした側面を的確に捉えている。『ここから ZONE』(ソニー・マガジンズ)378~381頁を参照。

・3つの映像事例から

 まあ文章で説明しても分かり難いと思うので、YouTubeの動画から3点ほど、実夕の名シーン(迷シーン?)を挙げておくことにしよう。

 最初の動画は、新生ZONEになってから初めて「Mattew’s Best Hit TV」に出演した回の一場面である。食べかけのオリーブの実をまだ作動中のミキサーに戻すというTOMOKAの「天然ぬけ」ぶりに対して、MIYUは的確にツッコミをいれているのだが(「食べかけだって!」)、それだけでなぜか笑える。

 

 次の場面は有名な「ぞーんぽたーじゅ」の最終回から。TAKAYOに対するMIYUの「悪意なき毒舌」が炸裂し(「そんな可愛くないよ」)、さすがのタカ姉もタジタジとなっている(1分50秒あたり)。

 以下はその続編で、こちらは「ボケ」の場面から(開始から15秒、及び、57秒あたりを参照)。ただ、ここでもMIYUは自分の思ったことをただ口にしているだけで、笑わせようという意図は全くない。

 しかし、その邪心のなさが逆に「可笑しさ」につながっているわけである。もちろん「毒を含んだ返し」の方も健在で(33秒あたり)、TAKAYOの逆ギレを巧みに引きだしている。

・「返し技」の妙技とその限界

 以上3つのシーンからもお分かりの通り、実夕の面白さは、親しい相手に対して自分の本音をポロリと口に出すときに生じる。とりわけ、相手の発言や行動に対して何気なく「返す」時に、(それがボケと化す場合にせよ、ツッコミと化す場合にせよ)「可笑しさ」が発生するケースが多い。

 MIZUHOのように積極的に自ら進んで笑いを取りに行くのではなく、相手の「振り」にナチュラルに反応することで笑いが生じる。その意味で実夕の面白さはあくまで「受動的な」タイプのものである。したがって、実夕の面白さを引き出すためには、彼女にうまく話を振ってくれる相手が必要なのだろう

 先日の「グータン」で実夕が面白さを発揮できなかったのは、相手(臼田あさ美、内田恭子)が初対面で緊張していたこともあるのだろうが、それ以上に他の二人も実夕同様の「天然キャラ(受け身のキャラ)」であったことの影響が大きいように思われる(ボケの三すくみ状態)。

 すなわち、実夕にうまくツッコミを入れてくれる人がいなかったため、最後まで彼女本来の「返しの面白」さが発揮できなかった、というわけである。(注)

 (注)一応、ウッチーがトークの進行役を担っていたものの、彼女も本来はボケキャラであるため(笑)、ツッコミはあまり得意ではない。もし進行役が江角マキコかオセロ松嶋あたりだったら、もう少しうまく実夕の「天然ぶり」を引き出してくれたかもしれない。

1・3 ソロ活動での課題
・ZONE時代のトーク状況

 さて、ここからが本題である。ZONE時代は、TAKAYOやMIZUHOのようにトークを取り仕切ってくれる年上のメンバーがいた。初対面の人やそれほど親しくない相手とのトークは彼女たちに委ねておけばよく、ZONE全体がその人と親しくなってからMIYUは遠慮なく本音をかませばよかった。(注)

 (注)実際、マシューこと藤井隆や北陽といった番組で親しくなった芸人さん達に対しては、彼女はけっこうズバズバ毒を吐いていた気がする(笑)

 また、メンバー内のトークにおいても、上記のようなメカニズムでMIYUは独特の面白さ?を発揮することができた。

・アーティストも「笑い」を取りにいく時代?

 しかし、ソロとなるとそういうわけにはいかない。たとえそれほど親しくない相手であっても、実夕自身がトークをリードしなければならない。

 しかも近年は、アーティストと言えども「笑い」のセンスを求められる時代である。音楽番組であってもトークの占める比率の方が高くなっており、そこで視聴者の心をつかめるかどうかがCDの売上枚数や楽曲のダウンロード数に響いてくるという、まことに厳しいご時世である。

 したがって、世間的に名の売れたアーティストであっても、トークで積極的に「笑い」を取りに行かねばならない事態になっているわけだ。実際、宇多田ヒカル・浜崎あゆみ・倖田來未といった近年の「歌姫」たちは、きわめてトーク力に長けている。

・実夕の難しい立場

 しかし上でも述べたように、実夕の面白さの本質はその「何気ない返し」にある。意図的に(=邪心を持って)「笑いを取りに行く」というタイプではないのだ。ここに彼女のつらさがある。

 もちろん、トークの経験を積んでいったら実夕も意図的に笑いを取ることができるようになるかもしれない。しかしその時、従来のファンは実夕のキャラが変わってしまったように感じるのではないだろうか(MIZUHOのように積極的に「笑い」を取りに行く実夕って想像できます?)。

 また、彼女の尊敬する安室奈美恵やYUIのように、「自分はあくまで歌で勝負するのであって、トークなど関係ない」と孤高の姿勢を貫くという方向性もあるだろう。

 しかし、そのためには「歌」や「生き様」にファンを納得させるだけの圧倒的な説得力がなければならないわけであるし、実際問題、歌だけで食べていけるだけの「売上」も伴わなければならないわけであるが、実夕はまだそこまで行っていないし、そういう「孤高」のタイプでもないように思われる。

・相方の必要性

 このように考えると、実夕にはやはり話を振ってくれる「相方」のような存在が不可欠であるように思える。もちろんこれは彼女のソロ活動を否定しているのではない。実夕の魅力を引き出してくれるバートナーがいたほうが、彼女のソロ活動にとって何かと都合がいいのではないかということだ。

 実夕の「天然ぶり」を発揮させるには、できれば年長でボケとツッコミの双方を演じられる人物が望ましいだろう。たとえば、それはバックバンドのメンバーであったり、場合によってはランタイムのスタッフやマネージャーであっても構わない。

 こうした「相方」と一緒に音楽番組に出演することで、実夕本来の面白さが少しでも視聴者に伝わるならしめたものであろう。また、(ライブの)トーク・タイムがより楽しいものになることで、ライブ全体の充実度もアップするという副次的な効果も見込めるかもしれない。

 いずれにせよ実夕にとって損になる話ではないと思うので、この「相方」問題についてはぜひ、スタッフの皆さんの間で真剣に検討していただきたいところである。

 (追記)先日(21日)、実夕が出演した『音楽戦士』をようやく視聴することができた。この番組では、司会のキングコングと青木さやかがうまく話を振ってくれていたため、彼女の面白さがかなり引き出されていたようである。
 個人的にツボだったのは、相方(キンコンの西野)が細かい性格だという梶原の暴露に対して実夕が返した「ヤダー!」発言(笑)。このような「ナチュラルな返し」こそ実夕の本領であることを再確認した。

………

 というわけで、なかなかブログの執筆のための時間がとれず、今回は短めの記事にさせていただきました。次号は「実夕のボーカル力」について触れたいのですが、テーマがテーマだし、場合によってはファンを怒らせかねない微妙な内容も含みそうなので、もう少し時間をかけてまとめさせていただくことにしたいと思います。

 なお、次回の更新はできれば6月中にはしたいと思います(5月中はムリだと思われます)。内容が薄くて申し訳ありません。

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コメント

おもしろかったです!
続編,期待してます

投稿: 鸛 | 2008年6月 3日 (火) 19時49分

 鸛さま

 管理人のshibueです。駄文に付き合っていただき、ありがとうございます m(_ _)m

 「偉大なるニュートラル」の続編についてですが、もう少しお待ちください。次回のアップはたぶん、6月末あたりになると思います(確約はできませんが…)。

 以上、取り急ぎご連絡まで。

投稿: shibue | 2008年6月 7日 (土) 05時28分

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