Takayo『My Best Friends』再考(6) Takayoの素顔
5 修正されたTakayoのイメージ
さて、2ndが彼女の実質的なデビュー・アルバムであり、そこで提示されているイメージこそ本来のTakayoに近いものであるとするなら、「Takayoの素顔」はどのようなものなのだろうか。
2ndアルバムに収録された曲の歌詞や真家さんとのインタビューを手がかりに、この点について考えてみよう。
5・1 若々しいTakayo
・1stアルバムから浮かび上がってくるイメージ
2nd収録曲を聞いて筆者がまず感じたのは「Takayoの若さ」。こう言うと少し奇異に聞こえるかもしれないけど、要するに「彼女も年相応の揺れ動く気持ちを持った女の子だったんだ」ということ(笑)
前回、1stをレビューした時点では、筆者は彼女のことを実年齢よりもはるかに成熟した女性であるように捉えていた。曲調も比較的落ち着いたものが多かったし、歌詞の虚構度(物語性)も高い(注)。
(注)これまでも度々述べてきたように、Takayoという人はかなり虚構度(物語性)の高い詞を書くので、彼女の内面のようなものは歌詞からはなかなかストレートに伝わってこない。
もちろん、「Butterfly」や「Rain」のように彼女の内面が比較的よく伝わる曲も1stには含まれていたのだが、「Hi-song」のような風景描写っぽい曲や、「Crazy Love」のような見るからに創作っぽい曲、そしてMICAジョンの曲の間に挟まれると、そうした内面性が目立たなくなってしまうのである。
そして、(こちらでも少し触れたが)ジャケットやブックレットに登場する彼女の写真(伏し目がちであったり、モノトーンのものが多かったりする)も、そうしたイメージを強化する方向に作用していた。
・2ndアルバムから浮かび上がってくるイメージ
しかし、今回、2ndを聞き込んでみると、それとは異なるTakayoの素顔が浮かび上がってきた。「未来への希望と不安をかかえながらも、新たな一歩を踏み出そうとしている若い女性」というイメージがそれである。
このイメージがもっとも明白に表れている曲が「Blue Star☆」であろう。その歌詞には、彼女の短大時代からソロ・デビューへ至るまでの経験(平凡な毎日に飽き足らなかったことや、音楽活動を再開するにあたっての不安や戸惑い、新しい夢へ向けて歩き出そうという決意、etc.)が、切り詰められた言葉ではあるが率直に表現されている。
また、(MICAジョンの作詞ではあるが)「My Best Friends」では「友への想い」と並んで「新たな旅立ち」が隠れたテーマになっているし、音楽活動を再開するにあたってTakayoにかなりの逡巡があったことを暗示する歌詞も、そこには含まれている。
「こんなに大きな決断したのは初めて 戸惑った時に君の笑い声で背中を押してもらった気がするの」(「My Best Friends」)
2曲目の「Butterfly」も、基本的には「未来への飛翔」がモチーフになっていると思われるが、2番の歌詞に「飛び立つことの不安」のようなものが暗示されている。あるいは、未来への不安が大きいからこそ、高く強く飛び立とうと自らを鼓舞している曲だと読めなくもない。
「もしも羽をひろげ時に疲れたなら あなたの肩でそっと休ませてくれますか」(「Butterfly」)
いずれにせよこれらの曲から浮かび上がってくるのは、「希望と不安に胸をふるわせながらも、未来へと踏み出そうとしている若い女性」というイメージであって、「すっかり落ち着いてしまった成熟したオトナの女性」ではけっしてない。
そう、1stで提示された後者のイメージは、あくまでプロデューサーであるMICAジョンによって演出されたTakayo像であって、彼女の素顔からはかなりかけ離れたものであったわけである。(注)
(注)もちろん、Takayoの1stアルバムである以上、そこに彼女の意向が全く反映されていないとは考えられないから、こうした「オトナのTakayo」像は、ある程度は本人が望んだものでもあったのだろう(あるいは、アルバムを「製作」することに精一杯で、自分のイメージの「演出」という側面までには気が回らなかったのかもしれない)。
しかし、いざアルバムができあがってみると、そこから浮かび上がってきたTakayo像は、彼女自身が想像していたものよりもはるかに大人っぽいイメージで、本人も少々面はゆく感じたのではないだろうか。「等身大の私からは、ちょっとかけ離れてしまったなぁ」、と。
2ndで彼女が「素のTakayo」を打ち出そうとしたのは、1stでのこうした反省もあったのかもしれない。
・舞衣子との共通性
このように考えると、かつての仲間だった舞衣子(現・MARIA)とTakayoの関係性についても見方が変わってくる。
実は前回、Takayoの1stをレビューしたとき、筆者は「Takayoと舞衣子はすっかり違う世界の住人になってしまったなあ」と少し寂しく思っていたのだ。1stで提示されていた「成熟した/オトナのTakayo」というイメージと、MARIAのデビュー・アルバムで提示されていたメンバー達(舞衣子を含む)のキャピキャピした?イメージとでは、あまりにもギャップがあったからである。
しかしこれまで考察してきたように、2ndで提示されたイメージこそ等身大のTakayoであるとするなら、話は違ってくる。再デビューにいたるまでの逡巡、未来への希望と不安、自分を支えてくれた友への感謝の気持ち等々、2ndアルバムからうかがえるTakayoの経験や心情は、舞衣子が「小さな詩」や「つぼみ」の歌詞で表明してきた内容とかなり似通っている。
・二人の上昇志向のかたち
また、「強い上昇志向」という点でも両者は共通しているように思われる。例えば、Takayoのテーマ曲とも言える「Butterfly」には「未来への飛翔」というモチーフが明確に表現されているが、これが彼女自身の高い目的意識や上昇志向を示していることは明らかであろう。(注)
(注)とりわけ、「高く飛び立っていった蝶が、真っ青な地球を見下ろして一体化する」というイメージなど、中国古典の「荘子」を思わせるスケールの大きさである(笑)。
また、「Blue Star☆」に登場する「輝ける青い星」も、彼女の高い目標や夢(具体的には、「音楽」、あるいは、「音楽活動をすることによって輝く未来」のことだろうか)が示されたものであることは言うまでもない。
彼女のこうした目的意識の高さは、既にZONE時代から示されていた。「夢はでっかく、第二のビートルズ(笑)」というデビュー当時の標語も、TAKAYOの強い意向が表明されたものであろう(最後の(笑)はMIZUHOあたりの意見かもしれないが(苦笑))。
しかし、こうした高すぎる目的意識を持ったリーダーに率いられていたからこそ、ZONEは単なるアイドルから個性的なアーティストへと脱皮することができたとも言える。
一方、舞衣子の場合は、そのような遠大な目標を掲げるというよりは、「小さなことからコツコツと」という(きよし師匠のような)タイプだ。そのことは、彼女がブログやラジオなどでよく表現する「自分に勝つ」という言葉からもうかがい知ることができる。(注)
(注)「つぼみ」の歌詞(「負けないくじけない出来ないことは何もない」)も、そうした彼女の態度が表明されたものと解釈して構わないだろう。
遠大な目標を掲げて、しばしばブッ倒れたりしながらも突き進んでいくTakayoと、一歩一歩確実に前進していこうとする舞衣子。タイプは違えど、二人がともに上昇への強い意志を持っていることには変わりがない。歩んでいる道や進行のペースは違っているが、Takayoと舞衣子は同じ方向へ向かって進んでいるわけだ。
・同じ道を歩む同志として
そのように考えると、二人はけっして違う世界の住人などではない。今でも同じ夢を見て歩き続けている同志だと見なすことができる。あるいは、ZONEのラストシングル『笑顔日和』でMIYUが紡いだ言葉を思い出してもいいだろう。
「どんな遠く 離れたって この想いはつながっているんだ どこまでも」(「笑顔日和」)
そう、Takayoと舞衣子は(そして、おそらく長瀬実夕となったMIYUも)、今でも深いところで繋がっていると考えられるのである。
5・2 Takayoの二面性
・繊細で寂しがり屋の女性?
次に筆者が2nd収録曲から感じたのは、「繊細で寂しがり屋の女性」としてのTakayo像である。
(人生の)旅立ちにあたって友だちの声を聞きたくなったり(「My Best Friends)、雨の日に昔のことを思い出して涙ぐんだり(「Rain」)、亡くなったお祖母ちゃんに抱きしめてほしいと願ったり(「Angel」)というような一連の歌詞から、こうしたイメージを抽出することができる。
・キャラの葛藤
Takayoというと、ZONE時代から「しっかりしている」とか「男っぽい」というようなイメージで捉えられることが多かった。しかし、それは「リーダー」という彼女の立場に由来するものであって、彼女の本質ではなかった可能性がある。
TAKAYOはもともと児童劇団にいたくらいであるから、そのようなキャラを演じることには長けていたはずだ。小さい頃からZONEのリーダーとして「しっかりしたTAKAYO」を演じているうちに、それが「第二の天性」となった側面もあるだろう。
しかし、彼女の本質的な人格が上記のような「繊細で寂しがり屋の女性」であるとするなら、「しっかりしたTAKAYO」であり続けることにどこかで無理が出てくる。ZONE時代、彼女が時々倒れるという経験を繰り返していたのもそのためだったのかもしれない。(注)
(注)さすがにZONEのメンバーの良き理解者である竹内美保さんは、TAKAYOの素顔と仮面のギャップとそれに伴う「危うさ」に気づいていたようである(『ここから ZONE』70頁を参照)。
また、他のメンバーもTAKAYOの素顔を知っていたらしい。『ここから』の326頁に、MIZUHOがTAKAYOの「甘えん坊」的な側面を暴露した話が掲載されている。
・「Butterfly」の二面性
Takayoの人格のこうした二面性は、「Butterfly」という曲に見事に示されているように思う。2曲目のロック・バージョンを聞くと、力強い飛翔のイメージ(「高く高く」「強く強く」)が耳に残る。これは「しっかりしている/男っぽい」という従来のTakayoのイメージと適合的だ。
ところが、6曲目のピアノ・バージョンを聞くと、同じ曲であるにもかかわらず、それとは正反対のイメージが浮かび上がってくる。「あなたに名前を呼ばれたらすぐに飛んでいく」という「受け身的/女性的なイメージ」がそれである。
Takayoが曲目数を犠牲にしてまで「Butterfly」にこだわったのも、この曲のこうした二面性が自分自身を象徴していることに(無意識のうちに)気づいていたからかもしれない。
・アルバムの二面性
また、アルバム収録曲の配列も彼女の二面性を暗示しているといえなくもない。アップテンポの前半3曲がTakayoの男性的なイメージを暗示し、後半のアコースティックな3曲が彼女の女性性を象徴する、というわけである。
曲のアレンジも、1曲目ではホーン・セクションが入るなど厚めのアレンジだったのが、曲が進むにつれてシンプルになっていき、最後の曲ではピアノとストリングス・シンセをバックにTakayoが独唱するという簡素なスタイルになっている。
男っぽいしっかりとしたTakayoというのは仮面/化粧であって、素顔の私はもっと女性っぽい存在なのよ、というわけだ。(注)
(注)もちろん、Takayoがこうしたことを意識して曲順を決定したと言えば言い過ぎになるだろう。ただ、MICAジョンはもしかしたらある程度はこのことに自覚的だったのかもしれない。曲が進むにつれてアレンジを薄くするなど、偶然にしてはできすぎている。
・二面性の功罪
このように考えると、真家さんとのインタビューのなかでTakayoが強調していた「素の私」というのは、これまで目立たなかった「繊細で女性的なTakayo」だけではなく、上記のような「二面性をもったTakayo」として捉えるべきなのかもしれない。
「しっかりとした、時に男っぽいTakayo」と「繊細で女性的なTakayo」は、一見すると矛盾しているように見えるが、実は相互に依存し合ってもいるのだ。あるいは、この二つの要素は時に葛藤をはらみつつも、全体として一つの統一的な彼女の人格を形成しているといってもよいだろう。
こうした葛藤はTakayoにとってしばしば精神的な苦痛を引き起こすものになるのかもしれないが、同時に、彼女に創造のエネルギーを与えることにもなるのだと思う。
Takayoのこうした二面性の痕跡がきれいに拭い去られている1stに比べて、2ndの方が聞いていて生き生きとした印象がするのは、まさにこうした二人のTakayoのせめぎ合いが作品という形に昇華されているからではないだろうか(注)。
(注)すなわち、「繊細で女性的な私」を表に出したいという内的な志向性と、「作品としての完成度を高めなければならない」というプロフェッショナルな志向性(←これは極めて男性的な志向性である)とのせめぎ合いが、2ndアルバムの収録曲に生き生きとしたエネルギーを与えているというわけである。
6 おわりに
Takayoが自身のブログを閉鎖してから一月近く経過したが、彼女の現状や今後の活動の見通しなどについては依然、不明のままである。この間、変わったことと言えば、彼女のホームページも「工事中」になったことくらいであろうか。
彼女の音楽活動が中断している理由について、部外者があれこれ詮索することに意味があるとは思えないし、彼女のためになるとも思えないから、ここでは触れない。ただ、Takayoはきっと帰ってくると個人的には確信している。彼女の音楽的な才能がそうさせると思うからである。
それまでは、彼女が残してくれたアルバムでも聞きながら気長に待とうではないか。そうしたややこしい話を抜きにしても、2枚のアルバムが名作であることには変わりないのだから。
その歌声が聞こえる限り、Takayoはきっと我々の側にいるのである。
(了)
あとがき
というわけで、Takayoについて思うところをいろいろと書き散らしてみましたが、いかがだったでしょうか?
実はこの記事、年末の28日頃から書き始めたのですが、当初は正月中に書き終える予定だったのが、書いているうちにどんどん妄想が膨れあがってしまい、書き終えるまでに結局20日近くもかかるハメになってしまいました(汗)。分量も400字詰の原稿用紙に換算して70枚を越えていると思います。まったく、趣味のブログでやるようなことではありませんよね(笑)
ただ、書いているうちにいろいろと新しい発見?があったことも事実です。それについては記事本文にあたっていただくこととして、今回の個人的な収穫は、それまで比較的遠い存在だったTakayoのことがより身近に感じられるようになったことと、彼女の音楽的な才能に確信を持てるようになったことでしょうか。
まあ、書いている途中で少しずつ考えが変わっていたりするので、一貫していなかったり議論が飛躍したりしている部分もあるかとは思いますが、そこはご容赦くださいませ。
それにしても、TakayoといいTOMOKAといい、どうも私は不遇に見える女性に心を惹かれてしまうようです。まあ、自分の不幸な心境を彼女たちに投影しているからそのように見えるだけで、実際の彼女たちは案外、元気にやっているのかもしれません(笑)。ファンとしてはそれが一番望むところなのですが、さて真実はどうなんでしょうか。二人の幸せを願いたいところです。
さて最後に当ブログの今年の方針を。今年は、今回のような長文記事はできるだけ控えたいと思っています。まあ、2~3ヶ月に1本書ければいい方ではないでしょうか。そのかわり、内容が薄めの短編記事をもっと増やしたいな、と思います。仕事の関係上、記事の執筆に要する労力と時間を確保することが難しくなりそうなので、この点につきましてはどうかご理解くださいませ。
内容の方も、もっと拡散させたいと考えております。もちろん、ランタイムのアーティストたちの動きは随時フォローする予定ですが、今回のような「重いレビュー」は避けて、「軽めのレビュー」にしたいと考えております。
MARIAにしろ実夕にしろハルハルにしろ、今年はアーティストたちの動きが活発化しそうなので、一枚のアルバムに集中するということが難しくなりそうですし、他にも書きたいアーティストや紹介したい本がたくさんあるからです。この点につきましても、ご理解を賜ればと思います(まあ、また気が変わるかもしれませんが…(汗))
というわけで、長文に最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。本年もよろしくお願い申し上げます。
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コメント
グログの更新ありがとうございます。一気に読まさせて頂きました。くすっと笑ったりゲラゲラ声を出して笑ったり、時にはじっくり考えさせられたりで、ただただ恐縮してしまいます。
実は数日前ネットでようやくTakayoのMy Best Friendsを購入して聞き出したところだったので、今回が彼女に関する記事で大変驚きました(1stアルバムはまだ聴けてません)。最初に聴いた感想は、実に自由で伸び伸びしていてふわっとした感じ。彼女はこういうのを唄いたかったのかなって。すぐに気に入りました。今回の中高での1学年の差が非常に大きいとの指摘や二面性に関する考察は非常に興味深く、感銘を受けました。彼女は常に一番の年上であることやリーダーであることの重責に悩まれされつつ、つらい役回りを演じていたのかもしないですね。でも今回アルバムを聴けて確信しました、時間かかってもまた唄い出すって…。
また日を改めて読み返したいと思います。では失礼します。
投稿: 着膨れ雪だるま | 2008年1月17日 (木) 05時39分
一気にコメントを書いたので誤字脱字が多くてすいません。
もう少し気をつけて書きます…。
投稿: 着膨れ雪だるま | 2008年1月17日 (木) 05時45分
着膨れ雪だるま様
管理人のshibueです。さっそくのコメントありがとうございます。
たぶん、最初に2ndを聞いた人は、それほど違和感なくこのアルバムを受け入れることができるだろうと思います。
私の場合、1stから2ndへと進んだため、そのギャップに少々、とまどうことになってしまいました。でも、今回の考察で2枚のアルバムの位置づけがハッキリしてからは、両方とも彼女の愛すべき作品として受け入れるようになっております。
Takayo自身は少々納得がいっていなかったのかもしれませんが、1stもけっして悪い作品ではありません。2ndが「素のTakayo」を表現していたとすれば、1stは、「ちょっとお洒落なよそ行きのTakayo」というところでしょうか。それはそれで、なかなか味のある作品に仕上がっていると思います。
機会がありましたら、ぜひ1stの方も聞いてみてください。こちらのサイト(http://phs.shop-pro.jp/)から入手できるようです。
では、今後ともよろしくご愛顧のほどを。
投稿: shibue | 2008年1月17日 (木) 10時19分
こんばんは、いつも楽しみに拝見しております。
御紹介いただいたサイトからTakayoの1stアルバムを購入することができ、昨日我が家に到着しました。2ndと違いいろんなTakayoが楽しめ、お気に入りの1枚になりそうです。
年末までは長瀬実夕のアルバムばかりだったのですが、最近はTakayoのアルバムばかり聴いております。本当にありがとうございました。
ただ、この気持ちの何分の1かはMARIAに向かえばいいのにと、自分のことながらやりきれない感があります。新曲も予約したし、大阪のライブチケットも購入したのに…。ライブまで時間があるので、少しずつMARIAも聴いていこうと考えおります。
寒い時期が続いていますが、どうかお体御自愛下さいませ。
投稿: 着膨れ雪だるま | 2008年1月20日 (日) 19時44分
着膨れ雪だるま様
コメントありがとうございます。管理人のshibueです。
Takayoの1stの購入に当サイトがお役に立てて何よりです。インディーズのアルバムはいつ絶盤になってもおかしくないので、Takayoファンの方は早めに購入しておいた方がいいと思うのですが…。
あと、アルバムのヘビー・ローテーションについてですが、私もこの記事を書いている間は、Takayoのアルバムしか聴いていませんでした (^_^; まあ、聞きたくなるアルバムというのは時と共に変わっていくと思いますので、あまり罪悪感を持たれなくてもよろしいのではないでしょうか。
なお、MARIAについてですが、2月に出る新曲以上に、3月に出るライブDVDの方を個人的には楽しみにしています。彼女たちの魅力は何と言ってもライブにあると思いますので。
ちなみに、MARIAの春ツアーには残念ながら不参加の見込みです(例によって予算と時間の都合が…(T_T))。ぜひ私の分まで楽しんできてください。
ではでは。
投稿: shibue | 2008年1月20日 (日) 23時29分
一気に読ませていただきました。
感激しました。また分析力の鋭さと、Takayoさんを想う気持ちがひしひしと伝わり、少しあたたかい気持ちになりました。
ブログ閉鎖から音沙汰ない今の状況ですが、頑張って待とうと信じる気持ちが強くなりました。
ありがとうございました。
投稿: naojiroken | 2008年1月31日 (木) 21時09分
naojiroken 様
コメントありがとうございます。
Takayoのブログ閉鎖の報を知ったとき、実は「しまった!」という思いがありました。1stアルバムのレビューの際には、じゅうぶんに聞き込むこともせずに、2ndのことをどちらかというとネガティブに評価してしまったからです。
もちろん、訪れる人は毎日数名という無名のブログのことですから、彼女のアルバムについて私が多少辛口のコメントを書いたところで、CDの売上に影響が出るわけもないし、ましてや彼女の音楽活動の中断とは何の関係もないこととは思いますが、それでもどこか後味の悪い思いがしていました。
そして今回、2ndアルバムを聞き込んだり、このブログの原稿を書いたりしているうちに、Takayoというアーティストの魅力に遅ればせながら気づいた次第で、記事を書きながら「もっと早めに評価してあげればよかった」と思うことしきりでした。今回の記事が読んでいただいた方にアピールするものがあったとすれば、そうした私の「贖罪」の気持ちが多少なりとも文章にこめられていたからだと思います。
それにしても、Takayoという人はつくづく不器用な人なんだな、とため息が出てしまいます。彼女が自分の弱みを他人に見せたがらないタイプであることは、これまでもたびたび指摘してきました。それは彼女なりのプロ意識の表れなのかもしれませんし、あるいは、持ってうまれた警戒心の強さから来ているのかもしれません。
いずれにせよ、「他人様(ひとさま)に迷惑や心配をかけたくない」という彼女なりの「気配り」あるいは「矜持(プライド)」が、しかし結果として、ファンや周囲の人々の心配や不安を招き、更には様々な誤解を産み出してしまっている…。どうもそんな悪循環にはまってしまっているように思えるのです。
もっとオープンに、自分の弱みをさらけ出してもいいではないか。そうすれば彼女自身も楽になると思うし、ファンも納得する。と、彼女に対してそのようにアドバイスしたい反面、Takayoの場合、そうした自らの不安や苦悩と向かい合い、それが昇華されていった結果、例えば「Angel」のような素晴らしい作品が産み出されているようにも思える。
だから彼女にとって創作(音楽)活動を続けるということは、おそらく、こうした「苦悩」をずっと抱え続けるということでもあるのでしょう。時には、そうした内面的な苦悩の負荷が容量オーバーになってしまって、彼女の心身に深刻なダメージを与えることもあるのかもしれない。そしてその結果、(現在のように)創作活動が一時的に滞ってしまうこともあるのかもしれない。
しかし、創作活動は「苦悩」だけでなく、「悦び」もアーティストにもたらします。「作品」を創り出すという純粋にアーティスティックな悦び、その作品を「ライブ」で発表し、ファンから「承認のエネルギー」を受け取ることによってもたらされる社会的な悦び。こうした様々な「悦び」こそ、アーティストにとっての「生き甲斐」であるわけです。
私がブログで「いつかTakayoはきっと戻ってくる」と書いたのは、彼女がアーティストとしての資質を備えていることに加え、こうした創作の苦しみと悦びを十分に経験していると判断したからです。
だから、我々ファンは、彼女のそうした生き様(苦悩と悦びに引き裂かれながらも、創作=音楽の道を歩んでいく姿)をあたたかく見守ればよい。そして、彼女が自らの苦悩と引き替えに産み出してくれた作品をCDなどでじっくり味わったり、ライブでは彼女とともに作品世界に共鳴すればいいのだ。今ではそんな風に思っています。
長々としたレプライで申し訳ありません(少々、酔っぱらって書いています(^_^;)。今後とも当ブログをどうぞよろしくお願い申し上げます m(_ _)m
投稿: shibue | 2008年2月 2日 (土) 02時01分
ありがとうございます。
今後も是非どんどん書き込みをお願いします。
ひとつ心配なのは、昨年6月の一連のイベントが終わった後、Takayoさんが体調を崩されてイベントをひとつキャンセルし、その後沈黙が始まったことです。2ヵ月後の8月に一度体調回復のコメントをブログに発信して安心させてくれましたが、その次のコメントはご存知のとおりブログ閉鎖という衝撃的なものでした。
体調を崩したことが、何らかの一因にはなっていないのでしょうか?
投稿: naojiroken | 2008年2月 9日 (土) 23時56分
naojiroken 様
管理人のshibueです。御返事が遅れ、誠に申し訳ございませんでした m(_ _)m 少しバタバタしておりました。
さて、Takayoの件ですが、おそらく体調を崩したのは本当のことだと思いますが、彼女の場合、身体の不調は精神的なバランスと密接に絡み合っているような気が個人的にはしています。
すでに御存知かとは思いますが、TakayoはZONE時代から時々倒れるという経験を繰り返しております。竹内美保さんの『ここから ZONE』にもその記述があるのですが(165-66頁)、疲労やストレスがピークに達すると、「涙と共に、張り詰めていたものが抜けてしまう」らしいのです。
彼女の場合、ふだんから「気を張って」自分をコントロールしてるタイプだと思われるのですが、そのコントロールが効かなくなってしまい、身体も思うように動かせなくなってしまう、という感じでしょうか。
それが今回も再現されてしまったのではないかと、個人的には考えております。
身体そのものの不調というよりは、精神のバランスの不調がその原因ですので、少し休んで精神がバランスを取り戻せば、身体の方も回復します(コントロールが効くようになる)。だから、多分夏の間に体調(正確には、精神のバランス)が回復したことは確かなのでしょう。
では、そこからなぜ急転直下、ブログ閉鎖(活動休止)の事態になってしまったのか?ここから先は、私の推論ですが、彼女は「ソロ」で音楽活動を継続することに限界を感じたのではないか。もう少し説明しましょう。
TAKAYOは疲労やストレスが溜まると、自分が倒れてしまうことを良く知っています。ZONE時代は、TAKAYOの不調をカバーしてくれる仲間がいた。実際、2003年のツアーアストロの大阪公演でTAKAYOが倒れた時も、他のメンバーのカバーによって何とか公演はやり遂げられています。
ところが、「ソロ」となるとそうはいきません。Takayoが不調になったら、彼女がそのライブの顔である以上、公演を中止せざるをえないわけです。去年の6月がまさにそうでした。
キャンセルとなると、あちこちに様々な迷惑がかかります。ファン、所属会社、会場関係者、etc.。経済的な補填だけでなく、迷惑をかけた関係者に頭を下げるという心理的な負担も負わねばなりません。
Takayoは責任感の強い性格ですから、自分のせいで周囲に迷惑を掛けてしまうことを誰よりも嫌がるでしょう。しかし、ソロ活動を続ける限り、そうしたことが繰り返されてしまう可能性がある。
彼女がソロ活動の中断を決意したのは、そんなことも理由の一つだったのではないかと、個人的には思っています。
では、彼女の音楽業界の復帰はもうあり得ないのか?その答えは「神のみぞ知る」のでしょうが、個人的には彼女はいつか帰ってくるのではないかと期待しています。あれだけの創作能力を持っている人ですから、時期が来れば歌いたくて仕方がなくなると思うのです。
ただし、通常の「ソロ活動」という形ではないかもしれません。その理由は上に述べたとおりです。だから、例えば信頼できる仲間とバンドを組むとか、あるいは、ソロで復帰するにしても、ライブは行わず楽曲だけを発表する、というような形を取るのではないか。そんな気がしてなりません。
個人的には、後者の可能性がいちばん高いような気がしています。バンドの場合、TAKAYOの不調はカバーできますが、人間関係という別のストレスの種を抱え込むことにもなります。となると、消去法的に、「楽曲だけ発表して、ライブは行わない」という形式が残るわけです。
もちろん、これは私の推論(妄想)に過ぎません。ただ、たとえライブは見れなくとも、彼女の歌声をいつかは聞きたいなと思っています。
以上、取り急ぎご連絡まで。
投稿: shibue | 2008年2月27日 (水) 16時18分
ブログ主殿
丁寧なご回答ありがとうございます。
鋭い視点での分析にはいつも感心させられています。
体調不良による活動中断、それがTakayoさんのブログでの最後のコメントの「次のステップ」への準備、すなわち別の形での「ソロ音楽活動」再開を強く願う毎日です。
ブログの最後のコメントは
①ソロ活動応援への感謝
②次のステップへの準備
③「今までありがとうございました」
という構成でした。
③は、音楽活動すべてに対するコメントではなく、一区切りつける①へのコメントと受け取るべきですよね。
つまり②は必ず、何らかの形で音楽に関わるステップですよね。
その時期が来るまで、ファンとして力強く応援を続けたいと思います。
Takayoさんがブログで紹介していた札幌のCDショップの音楽処様に、Takayoさんのことについて問い合わせてみました。
ご丁寧に回答をいただきましたが、音楽処様も情報はないとのことでした。
きっと、Takayoさんは、自ら定めた活動範囲内で、じっくりと力を蓄えているのだと信じています。
投稿: naojiroken | 2008年2月27日 (水) 22時26分
http://www.fender.jp/artist/detail.php?aid=fa_0207
ついに待ちにまったTAKAYOさんの復活です。
感激で胸がいっぱいです。
TAKAYO(ex ZONE)活動再開。
自分自身のライフ・スタイル、リアルな鼓動(サウンド)を追求すべく活動を休止していたTAKAYOが5月13日(火)、OMOTESANDO FABにてLIVEを行う事が決定!
今回のLIVEは、これから再開するにあたってのウォーミング・アップ・ライヴであり、最高にCOOLなFRIENDSを従い、肩の抜けたOFF SHOREの風に身を委ねたTAKAYOのライフ・スタイル・ミュージックで魅了する一夜限りのスペシャル・ライヴ!
TAKAYOが奏でるパラダイスを満喫しよう!
場所:OMOTESANDO FAB
日時:2008年5月13日(火)
OPEN:18:30/START:19:00
前売:\2,300/当日:\2,500
*今回のライヴは、対バン形式となります。
投稿: naojiroken | 2008年4月21日 (月) 22時30分
naojiroken様
TAKAYOの再々(?)始動についてご連絡いただき、ありがとうございました。彼女はいつかは帰ってくるとは思っていましたが、想像していたよりも早かったですね。また、筆者の予測(「もうライブはやらないのではないか?」)もいい意味で外れて、何よりでした(笑)。
ただ、今後はもう少しマネージメント面をしっかりと管理して欲しいですね。今回の件(突然のブログ閉鎖→突然の復活)もTAKAYOらしいといえばそれまでですが、このようなことがあまり頻繁に繰り返されると、熱狂的なファン以外の人々が離れていってしまう可能性があります。せっかく優れた音楽性を持っているのに、それではあまりにもったいない。
要はひとりで全部抱え込むなということです。音楽以外の雑務は信頼できるパートナーに委ねて、TAKAYO自身は音楽に専念する。そのようなしっかりとした体制を構築できるかどうかに、彼女の今後の音楽活動の成否がかかっているように思えます。
まあ、ともかく元気そうで何よりでした。今後とも彼女の活躍を遠くから見守っていこうと思っています。
以上、取り急ぎご返信まで。
投稿: shibue | 2008年4月23日 (水) 08時53分
ブログ主殿、こんばんは。
ご丁寧に返信ありがとうございます。
TAKAYOさんはこれからの活動をどのようなスタンスで行っていくのかは、今回のライブだけではまだ分からないような気がします。
まだきっと模索しているのではないでしょうか。
でも、どんな形であれ、どんなペースであれ、彼女が歌っていてくれさえすれば、今の私には十分です。
それだけがささやかな願いです。
ZONE脱退後の約2年間、そして今回の活動休止期間の約4ヶ月間、ほんとにつらかったです。
投稿: naojiroken | 2008年4月25日 (金) 23時25分