Takayo『My Best Friends』再考(4) 各曲レヴューその2
3・3 Blue Star☆(作詞・作曲:Takayo、MICA)
この曲については、最初に聞いたときからかなり良い曲だと思っていたが、今回改めて聞き直してみて、筆者の中では「名曲」へと格上げされた。
・楽曲&演奏について
テンポで言うとミディアムだと思うが、反復される打ち込み音によって非常に軽快に曲が流れていく印象が残る。Takayo曰く、「ハウス・ミュージック的な作りにした」とのこと。筆者はこのジャンルのことはあまり知らないし、基本的に打ち込み系は苦手なのだが、この曲に関しては非常に心地よく聴けた。
演奏の方もこの心地よさを形成するのに一役買っている。ギターのカッティングが打ち込みと併走しながらハウス特有のグルーヴを形成し、キーボードはTakayoの声を邪魔しない程度に背景を音で塗り込めながら(次第に暗くなっていく空のイメージ?)、時折り可愛らしい効果音(星の煌めきのイメージ?)を挿入する。
1曲目ではやたらに目立って聞こえた走るベースも、この曲では良い按配でグルーヴ感を醸し出している。MICAジョンのコーラスがまた流石と言うべきか、太母(注:こちらを参照)を思わせる声でTakayoを支えるとともに、曲に深みを与えている。
・ボーカル面について~ダンス・ミュージックへの適性~
演奏陣やMICAジョンの適切なバッキングの下、Takayoも伸びやかにそのボーカルを展開している。音域も彼女お得意の中・低音域がメインであるため、聞き苦しい箇所は全くない。Takayo自身はインタビューで以下のように述べている:
「この曲に関しては、間違いなく、私の根底にあるダンス・ミュージックが活かされていますね。」
となると、この曲の功績は、彼女のボーカルの隠れていた可能性を明らかにしたことにあるのかもしれない。それはこういうことだ。
Takayoのボーカルというと、ZONE時代以来、アコースティックな曲(例えば「シクベ」)で聞けるフォーキーなイメージか、その真逆のロックねえちゃん的イメージ(例えば「空想と現実」)が強かった。
しかし、実はこうしたミディアム・テンポのダンサブルなナンバーも彼女の声にフィットするのだということを、この曲は見事に示してくれたわけである。(注)
(注)実はZONE時代も、「世界のほんの片隅から」や「恋々」といったダンス・ナンバーでTAKAYOはけっこう味のある歌声を披露していたのだ。
ただ両方ともMIYUとのツイン・ボーカルで、しかも美味しいところはMIYUが全部持って行ってしまう(笑)パート割りになっていたから、ダンス・ナンバーに対する彼女のボーカルの適性はあまり目立たなかったのだろう。
それに、ファンの側でも関心は専ら4人のダンスに向けられていたから(笑)、それも致し方のないところか。
まあ、そんな堅苦しい話を抜きにしても、この曲が非常に心地よいナンバーであることに変わりはない。Takayo推しならずとも、ぜひ耳にしていただきたい一曲である。
3・4 Rain~MAKIKI mix(作詞:Takayo 作曲:Takayo、MICA)
・オリジナルとの差異~ミキシング・マスタリングを中心に~
1stの6曲目に収録されていたオリジナル曲をリミックスしたもの。録音素材は同じわけだから、両者を比較することによって、1stと2ndのミキシングやマスタリングの違いが判明することになる。
この二つのバージョンを同じ条件で聞き比べてみてまず明らかになるのは、音量の違い。明らかに2ndの方が大きめに聞こえる。おそらく、マスタリングの効果(2ndでは音圧を上げている?)によるものなのであろう。
それから音のバランス(ミキシング)についてであるが、やはり2ndの方が低音部(ベース音や打ち込み音)が強調されて聞こえる。音の分離もよりクッキリとしているようだ。
ただし、この曲に関していえば、このリミックスが成功しているかどうかは微妙な気がする。あまり音が分離しておらずややこもり気味の1stのミックスの方が、この曲で歌われている雨の日の雰囲気をより忠実に表現しているのではないか?そんな風にも思えるのである。(注)
(注)まあ、筆者の場合、70年代のカンタベリー・ミュージック(例えばMatching Moleのこの曲など)のようなくぐもった音を偏愛しているから、そのように感じられてしまっただけなのかもしれない。リスナーの皆さんはぜひご自分の耳で聞き比べて判断していただきたいところだ。
・女らしさを増したボーカル
さて、いい加減ミックスのことからは離れて、この曲本体の魅力について触れることにしよう。
Takayoによると、この曲は学生時代に作ったとのこと。その日も本当に雨が降っていたらしい。雨女の彼女らしいエピソードだが、やはりTakayoのボーカルはこうしたフォーキーな楽曲が一番しっくりくるような気がする。
また、表現力の方も磨きがかかっているようだ。レコーディングに時間を掛けている(Takayo談)だけあって、非常に丁寧に歌い込まれていることはすぐに分かるが、さらにZONE時代から比べると「しっとり感」が増したというか、より女らしく(?)なったというか、そんな印象を抱かせるのである。
・歌詞について~抑制の美学~
歌詞がまた良い。Takayoの作詞については1stのレビューでも若干触れているが、今回改めて「Rain」の歌詞を読み直してみて、彼女の作詞能力の高さを認識させられた。
詞のベースになっているのは彼女自身の経験なのだろうが、おそらく歌詞を練り上げていく過程で過剰な情念や余分な言葉の装飾といったものが削ぎ落とされていったのだろう。簡潔だが深みのある詞になっている。表現が抑制されることによって、却って語り手の思いが伝わってくるのだ。(注)
(注)MARIAの面々には、このあたりの表現の機微をぜひ学んでいただきたいところ。
・「君」のマジック
また、秀逸なのが「君」という二人称の使用法。そもそも、この「君」はいったい誰を指しているのか?これについては様々な解釈が可能であろう。(語り手の)別れてしまった「恋人」をそこに読み込む人もいるだろうし、かつての「旧友」を読み込むことも可能だ。あるいは、語り手(=Takayo)が自分自身のことを対象化して「君」と呼んでいるのかもしれない。(注)
(注) リゾン氏のこの記事を参照。
しかし、どの解釈が正しいかは実は問題なのではない。重要なのは、このように「君」をめぐって読み手(聞き手)が様々な想像力を働かせているうちに、いつの間にかこの詩を我がことのようにリアルに捉えるようになってしまうということ。つまり、「君」という歌詞は、オーディエンスを詩の世界に引きずり込んでしまうという恐るべき効果を持っているのである。
もちろん、Takayo自身がこうした効果に自覚的だったとは考えにくい。この曲は学生時代に作られたというが、おそらく最初から完成形だったわけではなく、そこからかなり時間をかけて歌詞を磨き上げていったのだろう(MICAジョンのアドバイスも効いているのかもしれない)。
しかし、それでもこの歳(22歳)でこれだけの説得力のある歌詞を書けるというのは、やはり一つの才能だと思う。
雨の日の定番になりそうな一曲である。
3・5 Angel(作詞:Takayo 作曲:Takayo、MICA)
・追悼の歌
おそらく、現時点でのTakayoの最高傑作。
この曲はTakayoのお祖母ちゃんに対する追悼の歌なのだが、インタビューで彼女がそう明言しなければ、この曲が何について歌われたものなのか、リスナーにはほとんど分からなかっただろう。(注)
(注)確かに歌詞からは何らかの喪失感のようなものはうかがえる。しかし、この穏やかで優しい曲調からは、「大切な人の死」のような暗い影は微塵も感じられない。
・演奏とボーカルの相乗効果
アコースティックを基調としたバッキングも効果的で、終盤での(スライド?)ギターとシンセによる演奏が曲の浮遊感を醸し出すのに一役買っている以外は抑制された演奏に徹しており、そのことが却ってボーカルを引き立てている。
そして、何よりも絶品なのがTakayoのボーカル。聞く人の心に染み通って優しく包み込みような、そんな深みさえ感じられる。この若さでここまで聞き入らせるボーカルを展開する人は、なかなかいないのではないだろうか。
そういえば、この曲ではバッキング・ボーカルも彼女が取っている。前奏で聞けるハミングがそれだが、MICAジョンの深みのあるコーラスとはまた違った浮遊感をこの曲に与えるのに成功している。
・苦悩の昇華=愛
前回のレビューでも触れたように、Takayoという人は曲作りにあたって自らの経験や感情をそのままストレートに表現するようなタイプではない。身近な出来事を素材とする場合も、虚構度が高いというか、自分の経験や感情を具体的な文脈からは切り離して、「作品」というより完結した形式へと純化させるタイプである。「Angel」もその例外ではない。
「大切な人の死」を作品にするような場合、凡百のアーティストなら自分の哀しみや苦悩をそのままストレートに表現しようとするだろう。しかし、真家さんとのインタビューでTakayoは「悲しい曲にはしたくなかった」と述べている。
お祖母ちゃんの死になかなか折り合いをつけることができないという宙づり状態の中、彼女はより完成度の高い作品へ向けて自らの苦悩を昇華させていく。その過程で、大切な人の死に伴う様々な感情(哀しみや寂しさ、やり場のない怒り、絶望、etc.)は次第に浄化されていったのだろう。
こうしてできあがった作品からは当初の哀しみや苦悩は姿を消し、代わりに穏やかな浮遊感で満たされることになる。それを「愛」と呼んでもいいのかもしれない。なぜなら、それに触れる我々リスナーも、幸せな気分になれるのだから。
と、まあだいぶクサイことを書いてしまったけど(笑)、この作品が傑作であることは間違いない。真家さんとのインタビューと合わせて、ぜひ耳を傾けていただきたい。きっち優しい気持ちになれるはずです。
3・6 Butterfly~piano version(作詞:Takayo、MICA 作曲:MICA)
・ネガティヴな第一印象
都合3度目のバージョンとなるこの曲では、ピアノとストリングス・シンセをバックにTakayoが独唱するというスタイルが取られている。
実はこのバージョンも、最初に聞いたときは「?」をつけてしまった。3度目ということで聞く側としても多少飽きが来ていたことに加え、後半の方で彼女の声がかすれたり飛びかけたりしている部分があり、それを「完成度の低さ」として受け取ってしまったからである。
なぜもっと丁寧に歌入れしなかったのだろう?MICAジョンのバッキング・コーラスも付いていないのだから、そのままでは彼女のボーカルのアラが目立つばかりではないか。そんな風に思っていたのである。
・素顔のTakayo?
ところが、真家さんとのインタビューを読むと、どうやらこのバージョンではあえて「一発録り」にしたらしい。上記のように思われる危険性があるにもかかわらず、なぜ彼女はそのような試みをしたのか?現在の筆者は、その気持ちが何となく分かるような気がする。
このアルバムのコンセプトは、彼女の素顔を見せることだったはずだ。実際、これまでの曲で彼女は自らの経験や現在の心情をかなり率直に(もちろん、作品という形にきちんと昇華させたうえで)歌ってきたわけだが、そこはやはり、参加ミュージシャンのサポート、とりわけMICAジョンのコーラスという装飾(=化粧)が施されていたことも確かである。
そこでTakayoはアルバムの一番最後に、「Butterfly」という一番お気に入りの曲(いわば彼女のテーマ曲)で、思い切ってそうした化粧さえ落とした「素顔」を我々リスナーにさらけ出そうとしたのではないか?どうもそんな気がしてならないのである。
そのように考えると、インタビューでの彼女の微妙な(?)発言も、味わい深く受け取ることができる:
「このピアノ・ヴァージョンでは「こういうTakayoもいるんだ」と知ってもらえるのではないかな。」
このように妄想するようになって以来、「Butterfly」ではこのバージョンが一番のお気に入りになってしまった(男って単純ですね(笑)
(以下、次号)
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