Takayo 1stアルバム・レビュー
お久しぶりです。前回の記事から2週間ぶりの更新となります。当方がボーっと過ごしている間に、MARIAの2007年ツアーも盛況のうちに無事終了し、メンバー達(ランタイム本体も)は1週間の夏休みに入った模様。
しかし、高校生組は2学期が既に始まっており、しかも試験が重なるというダブル・パンチで、休むに休めないという状況。成人組もどうやら曲作りのノルマが課せられているようで、せっかくの休みなのに大変だなーと遠くからため息をつく次第。
それにしても、MARIAの面々に限らず、夏休みというのはいつからこんなに忙しく(せわしく)なったのですかねー。昔はもっと緩やかに時間が流れていた気がするのですが…。
さて、今回の記事では、ZONEの初代リーダーだったTAKAYO(現在の表記はTakayo)の1stアルバム『Takayo』のレビューをしたいと思います。え、ランタイム関連の記事からはしばらく距離を置くのではなかったかって?
いや、彼女はもうランタイムの人間ではないし、というのは表向きの理由で(笑)、本当を言うと、いざ別のテーマで書こうとしても、あまりモチベーションが上がらなかったからです(汗)
なお、今回はMARIAの時のように1曲1曲を丁寧にレビューするのではなく、全般的な印象についてザッと流す感じになったことを、予めご報告申し上げます。
0 はじめに
今回紹介するのは、ZONEの初代リーダーだったTAKAYO(現在の表記はTakayo)の1stアルバム『Takayo』である。
周知の通り、彼女は2003年の大晦日をもってZONEを脱退し、2年間の短大生活を経て、昨年の4月から音楽活動を再開した。
このアルバムが発表されたのは昨年の11月19日だったから、紹介する時機を逸した感がないでもないが、これからの季節にピッタリのアルバムだと思うので、敢えて今回取り上げた次第である。
1 アルバムの概要
1・1 曲目リスト
まず、曲名と作詞・作曲のクレジットは以下の通り:
- Butterfly(作詞:Takayo、MICA 作曲:MICA)
- Thank You(作詞・作曲:MICA)
- SOS(作詞:Takayo、MICA 作曲:MICA)
- Hi-song(作詞:Takayo、MICA 作曲:MICA)
- Crazy Love(作詞:Takayo、MICA 作曲:MICA)
- Rain(作詞:Takayo、MICA 作曲:Takayo、MICA)
- Rebirth(作詞・作曲:MICA)
- Sandy Beach(作詞:Takayo、MICA 作曲:MICA)
1・2 MICAジョンとのコラボ
これを見ても分かる通り、ほとんどの曲をMICAという人が手がけており、Takayoは専ら作詞とボーカルを担当という役回り。
MICAさんについての詳細は不明だが、どうやらTakayoの所属(?)するパオレハオリ・ミュージックのボイス・トレーナーであるらしい(Strangefruitというボイス・レッスン・スタジオを主宰しているようだ)。
このアルバムでは、作詞・作曲を手がけるだけでなく、プロデューサー・兼・アレンジャーとしての役割も果たしており、またTakayoのライブではコーラスも担当するなど、ミュージシャンとしてもなかなかの才人とお見受けした。
おそらく、ランタイムに所属していた際にも、Takayoは演奏(ギター)やボーカルの基本的なトレーニングは受けていたのだろうが、作詞・作曲を含めた本格的な音楽のトレーニングは、短大を卒業してから開始したのであろう。
その意味で、Takayoはまだまだミュージシャンとしては「駆け出し」の段階にあるわけであり、当面はMICAジョン(←Takayoのブログではこう呼ばれている)との二人三脚が続くことになると思われる。
2 レビュー
2・1 ボーカルのスキルアップ
・ZONE時代の歌唱
さて、アルバムの内容についてであるが、一聴してまず思ったのは、「歌がうまくなったな」ということ。
Takayoといえば、ZONE時代からその年齢には不釣り合いな「落ち着いた歌声」に定評があった。もちろん、「空想と現実」や「さらりーまん」などのロックっぽい曲で聞ける吐き出すようなボーカルも彼女の魅力の一つではあったが、Takayoの声質が最も映えるのは、ミドルテンポの楽曲における中・低音域であるように思う。(注)
(注)「シクベ」のAメロ部分(「出会いはふとした瞬間~本当はとてもとてもうれしかったよ」)などはその典型で、アコギを爪弾きながら遠くを見つめて歌うその姿は、とても10代とは思えぬ説得力があった。
また「世界のほんの片隅から」のAメロなども、彼女の低音がよく活かされた箇所だと思う。
その反面、高音部になるとその声量のなさや、エンド・トーンが下にずれるというクセが目立ったことも事実である。
再び「シクベ」を例に挙げるなら、転調後のTakayoのソロ(「君と夏の終わりずっと話して~」)のラストの部分(「君の頬を流れた涙はずっと忘れない」)が典型的で、ライブなどではかなり苦しそうに歌っていた。
・ボイトレの効果?
しかし、今回CDを聞く限りでは、高音部も伸びやかに出ている。おそらく、よりお腹から声を出すよう、歌唱法を変えているのだろう。音楽活動を再開するにあたってTakayoはボイトレをかなりしっかりやったそうだから、その成果が早くも出ているのかもしれない。
そして、中・低音域の魅力は相変わらずだから、彼女の表現力はZONE時代と比べて一段ステップ・アップしたといえる。
2・2 楽曲について
・ヴァリエーションに富んだ楽曲
次に全般的な曲調についてだが、今回のアルバムでは、Takayoは作曲にはほとんどタッチしていない(「Rain」だけ共作)。MICAジョンがストックしていた曲にTakayoが詞をつけていったのか、Takayoの書いた詞や提起したイメージに相応しい曲をMICAジョンが作っていったのかは不明だが(たぶん後者?)、正統派というか落ち着いた感じの曲が目立つ。
70年代アメリカのサザン・ロックやポップスが基本モチーフにあると思うのだが、R&Bやボサノバ、フォークやハワイアンなどのフレーバーも随所に感じられてヴァラエティーに富んでおり、聞いていて飽きさせない。
このあたりの丁寧な音づくりは、MICAジョンの功績によるものだろう。カーペンターズやキャロル・キング、竹内まりやといった女性シンガーが好きな人なら、本アルバムの楽曲を一発で気に入るのではないだろうか。
・落ち着いたたたずまい
それにしても、Takayoという人はZONE時代からアーティスト志向の強い人ではあったが、本作からは彼女がかつてアイドルであったことは微塵も感じられない。一人の女性シンガーとしての貫禄さえ感じられる。
まだ22歳だというのに、この落ち着きはいったいどこから来ているのだろう?やはり、長い芸能生活が彼女の精神的な早熟をもたらしたのだろうか?ふと、そんなことを思ったりもする。
2・3 歌詞について
・素顔の見えにくい詞
こうしたことは歌詞からもうかがえる。ふつう、この世代のアーティストは「自分語り」に走りがちなものだが、(共作とはいえ)彼女の書く歌詞からはそのような私小説的な傾向はあまり感じられない。
たとえば、ZONE時代の仲間であった舞衣子が書く詞(「小さな詩」や「h@ッちゃけ」など)からは彼女の素顔がうかがえる(気がする)のだが、Takayoの書く詞からは彼女の内面のようなものはほとんどうかがえない(むしろ内面が感じられるのは、MICAさんが単独で書いた作品だったりする)。
・無意識的な防衛?
身近なことをテーマにしていても、「叙景詩的」というか、どこか距離を置いた醒めたまなざしが感じられたりするのだ。もちろん、それがTakayoの作詞の構えであるといえばそれまでだが、筆者などはついついそこに彼女の「無意識的な防衛」を見てしまう。
竹内美保さんの『ここから ZONE』によると、Takayoという人は周囲の人々に対してかなり警戒心の強いタイプだったらしいから、このアルバムでもどこかでそうした性向を引きずっていたとしても不思議ではない。たとえ自分の歌う曲であっても、「自分の本性は容易に他人に見せるものではない」というわけだ。
・詞と曲のマッチング
まあ、これはあくまで筆者の妄想であって、ほとんどがMICAジョンとの共作でもあるし、作品としての完成度(物語性)と楽曲とのマッチングを優先したらこのような歌詞になっていた、というのが実際のところなのだろう。
事実、歌詞が楽曲の邪魔をしていない分、非常に聞き心地はよくなっており、本アルバムはイージー・リスニングとしても利用できる作りになっている(睡眠前のBGMとしては最適かも)。
3 Takayoの人物像について
3・1 志向と適性の食い違い
・Takayoの声はロック向きか?
もちろん、このように落ち着いた楽曲づくりに対して、それを飽き足らなく思う人も多いだろう。特に、ZONE時代の「ロックなTAKAYO」に惹かれていたファンには、その思いが強いかもしれない。
しかし、これは個人的な意見だが、Takayoの声質にはアップ・テンポのハード・ロックは似合わない気がする。むしろ、このアルバムに収録されたようなミドル・テンポの楽曲やバラードを丁寧に歌う方が、彼女の声質をより活かすことになると思うのだ。
・2ndアルバムでのつまずき
筆者のこの考えが確信に変わったのは、彼女の2nd(ミニ)アルバム『My Best Friends』(2007年6月6日発売)を聞いたときである。
このアルバムの1曲目でPVにも採用されている「MY BEST FRIENDS」という曲がある。この曲はアップテンポの軽快なロックなのだが、彼女の声質の欠点(高音部での声量のなさや、エンド・トーンが下にずれるクセ)が露骨に出てしまっているのだ。
また、アルバム全体のアレンジも、ロック的なダイナミズムを出そうとするためか、1stに比べるとリズム隊(特にベース)を強調する作りになっているのだが、Takayoの声が楽器の演奏に負けてしまっている場面もしばしば見受けられる。
・Takayoの志向する音楽
2nd アルバムに関するFenderの真家さんとのインタビューの中でTakayoは、「1stは自分の歌が曲に追いついていなかった」と述べている。これは彼女独特の言い回しなのだが、おそらく等身大の自分からすると、1stは少し大人っぽ過ぎたということなのだろう。
これに対して2ndの方は、より素の自分に近いと。Takayo自身が「等身大の自分」と思っているのは、おそらく1stよりももう少しロックっぽい楽曲なのだろう。
こうしたインタビューを読むと、22歳のTakayoの素顔がうかがえて少しうれしく思う反面、「(現在の)彼女が求めているもの」と「彼女の声質に合っているもの」とのギャップもかいま見えてしまって、ため息が出てしまう。
まあ、「等身大の自分」を見せたいという思い以外にも、ライブでの盛り上がりや世間の売れ線あたりのことも念頭に置いて、2ndはロックっぽさを強調した作りにしたと思うのだが、そのことがTakayoの(声の)長所を消してしまっているのだとしたら皮肉なものだ。
3・2 Takayoの不器用さ
・嘘をつけない人~あるインタビューから~
以上のようなことを鑑みるにつけても、つくづくTakayoという人は不器用な人なんだなと思う。こうした不器用さは彼女の発言などからもうかがい知ることができる。例えば、「MY BEST FRIENDS」に関する別のインタビューの中で彼女はこんな発言をしている:
- 「フレンズ」とはZONEではなく、大学時代の友人たちを指す
- 1人ならレコーディングは気が済むまでやれるし、ライブもやりたいようにやれるので、楽しい
- ZONEのメンバーとは連絡を取っていない
こういった発言がZONEファンの様々な幻想を打ち砕くものであることは言うまでもない。
もし彼女がもう少し計算高い女性であるなら、たとえ嘘であっても、「フレンズには当然、ZONEのメンバーも含まれる」とか「ZONEのメンバーとは今でも時々コンタクトを取っている」等の発言をしていただろう。そうすることによって、ZONEの面影を求めるファンを自分のソロ・アルバムへと引きつけることができるからである。
しかし、そうしたことをせず正直に真実を語ってしまうあたりが、TakayoのTakayoたる由縁なのであろう。
・ZONE時代に対する苦い想い?
ただ、現時点でTakayoがZONE時代を決して肯定的に捉えていないことは、上記のインタビュー以外の様々なソースからもうかがい知ることができる。未確認情報だが、彼女のブログの中で、ZONE時代の面影を求めるファンの書き込みに対して、それを拒絶するような記述をしたこともあったらしい。
まあ彼女の場合、小さい頃から芸能活動をする中で業界の汚い部分をいろいろ見てきたわけだし、ZONEのリーダーとしてそうした脅威から他のメンバーたちを守るという重責をずっと担ってきたわけだから、苦い思い出が真っ先に出てきてしまうのも致し方のないことなのかもしれない。
また、ウィキペディアによれば、Takayoは生粋のランタイム生ではなく、ZONE結成のために他のスクールからスカウトされたということだから、そうしたある種「外様」的な立ち位置も、ZONEに対する彼女の思いを複雑なものにしている一因なのかもしれない。(注)
(注)この情報は現在、ウィキペディアからは削除されている。
・過去の否定から肯定へ
しかし、ZONE時代にはつらいこと・苦しいことも多かった反面、楽しかったことやうれしかったことも確かにあったはずなのである。にも関わらず、現在のTakayoはZONE時代のそういったポジティブな側面をまだ受け入れられずにいる。
おそらく、彼女のような不器用な性格の人は、過去のことを否定しなければ前に進めないのだろう。あるいは、現在の自分を肯定したければ、過去の自分を否定しないといけないと思いこんでいるのかもしれない。
いつの日か(例えば10年後の8月あたりにでも(笑)、彼女が過去のそうしたわだかまりを捨て、素直にZONE時代を受け入れられるようになってくれたら、と心底思う。(注)
(注)ちなみに、元メンバー達のZONEに対する構えがそれぞれ違っていて興味深い。
ZONEの解散をいちばん引きずっている(また、それを公言している)のがMIYU。インタビューやライブでのMCでも、そのことを明言していた。長瀬実夕として再デビューした後も、ZONE時代の歌を歌ってくれるのではないかと、個人的には期待している(レコード会社の許可次第だが)。
一方、舞衣子はZONEもMARIAも肯定の立場である。今年の5月、CDTVの「復活して欲しいバンド・グループ」特集でZONEが第2位に入ったことが話題になり、MARIAのオフィシャル掲示板にZONEの再結成を希望する旨の書き込みが相次いだ。
それを見たれいなが少しキレてしまい(「うちらはMariaだょ!)、一悶着(といえるほどの騒ぎにはならなかったが)起きたことがあった。
しかし結局、舞衣子の「ZONEもMARIAも大好きだぁo(^-^)o」の一言で、騒ぎは鎮静化してしまった。舞衣子のナチュラルな賢明さを改めて認識させられた次第である。
4 Takayoへの提言
4・1 後追いファンとして
・思い入れの少ない存在
実は、筆者のような「後追いのファン」にとって、Takayoは一番思い入れの少ない存在であった。
筆者にとってのZONEは、まずは「武道館DVDのZONE」であり、その現場に姿のなかったTakayoの印象はどうしても薄くなってしまうのである(この点が初期からのZONEファンとは決定的に異なる)。
もちろん、ファンになってから様々な動画を見る機会はあったが、そのほとんどがバラエティーでの姿で、歌番組で当てフリをしているものはあっても、彼女が実際にライブで演奏したり歌ったりしているものはあまり見かけたことがない(PV集に収録された「シクベ」ぐらいか?)。
それゆえ、アイドルとしてのTakayoの認識はあっても、アーティストとしてのTakayoについては今ひとつ思い入れを持てずにいた。
・マイ・ペースでの活動を
しかし、今回、彼女の1st アルバムを聴いてみて、やはり才能のある人であることは痛感させられた。特に、Takayoの「声」については、昨今はやりのR&B系の女性シンガーとは異なる独特の味があり、彼女の大きな武器になることは間違いのないところである。
ただ、いわゆる「売れ線」の曲ではないから、TakayoがZONE時代のように表舞台に華々しく登場することは難しいかもしれない。しかし、不器用な彼女にとっては、地元(札幌)を中心にマイペースでコツコツ活動する方が好ましいようにも思う。(注)
(注)インディーズの経済状況を考えると、ウィークデイは栄養士の仕事をしながら休日の時にだけ音楽活動をするという形式が、彼女にとってもっとも望ましいのではないかと思う。
ただTakayoの不器用な性格を考えると、複数の仕事を同時にこなすというのは、なかなか困難な課題なのかもしれない。
4・2 パーソナリティの安定化へ向けて
・燃え尽き症候群
少し心配なのが、彼女の燃え尽き症候群。アルバム発表やライブの直前にはブログの更新が頻繁になるのに、そのイベントが終わると更新がピタっと止まってしまう。
今年も、6月にミニ・アルバムの発表とそのプロモーションのライブが何本かあった後、体調を崩したという旨の記述がなされ、以後2か月間、ブログの更新がパッタリ止まってしまった(汗)
このため、重病説や「所属会社と揉めた」説など様々な説がネット上を飛び回ったが、先日、ひょっこり書き込みがなされていたから、ファンとしては一安心というところか。
おそらく、精神的なキャパシティーがそれほど広くない人なのだろう。彼女が一つのことしかできないというのも、そこに由来しているのかもしれない。(注)
(注)そのことを考えると、一人で全部を背負い込むソロよりも、(たとえ気を使う面はあっても)バンドやグループという形態の方が実は彼女には向いているのかな、という気もする。
・社交のススメ
ただ少なくとも、同僚のアーティストとの交流はもう少し深めた方がいいのではないだろうか。
例えば、MICAジョン主宰のボイスレッスン・スタジオに所属するアーティストのコンピレーション・アルバム『Strange Fruits Vol.1』(現在は品切れ)でTakayoも1曲歌っているのだが、他のシンガー達は自分のブログの「ともだち」の欄に同僚のアーティストのリンクを張っているのに、Takayoのブログでは「ともだちはいません」になっている(笑)
ここまでくると、正直を通り越して、少し社交性に欠けているようにも見えてしまう。まあ、ネタだとは思うけど(苦笑)、ちっとは同僚に配慮してもよかったのではないだろうか(ライブでコーラスを務めてくれた人もいただろうし…)。
他者のなかには、これまでTakayoが出会ってきたような「警戒すべき相手」ばかりではなく、弱ったときに手を差し伸べてくれたり、叱咤激励して自分を前進させてくれたりする「信頼すべき他者」も必ず存在するはずだ。
そのような信頼できる他者と多く出会い、その人たちとの絆を深めることによって、彼女の人格も自ずと安定性を獲得することになるだろう。「自己」というものは自分の内部にあるのではなく、他者との関係性にこそ求められるのだから。
Takayoがそのように信頼できる相手に出会い、安定した関係性を築いてくれることを、遠くから祈るばかりである。
5 おわりに
話がなにやら小難しい方向に行ってしまった(汗)
まあそれはともかく、彼女の1st アルバムはこれからのシーズンにピッタリなので、ZONEやMARIAファンならずともお薦めの一品である。秋の夜長、一杯ひっかけながら本を読んだりくつろいだりする時のBGMとしては最適かもしれない。
また、結構お洒落な感じの曲も含まれているので、女の子にも受けがいいと思う(彼女とのドライブのお供にどうぞ)。
ちなみに筆者の個人的なお気に入りは、2曲目の「Thank You」。ゆったりとしたR&Bっぽい曲だが、Takayoの中低音域の声の魅力を存分に味わうことができる。ぜひ、耳を傾けてみていただきたい。(注)
(注)なお、本アルバム(1st)はアマゾンには登録されていないので、購入を希望する方はこちらからどうぞ。
(了)
………
というわけで、今回もかなり長めの文になってしまいました(汗)。次回こそ、もう少し短めのエッセイ(非ランタイム系)にしたいと思いますが、はてさてどうなることやら。
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コメント
初めまして。
私もMARIAのファンで…というよりTakayo在籍時代からのZONEのファンで、大変興味深く読ませていただきました。
Takayoの声にはミドルテンポやバラードの方が合うのでは、とのご意見、私も全く同感です。
それから彼女の不器用さ、という点も。
不器用さもまた彼女の魅力なのかな…と思うようにはしてるのですが、さすがに2か月もブログを放っておかれると、ファンとしても心配せざるを得なくなります(苦笑)。
ただ、2年間彼女の帰りを(半ばあきらめつつ)待ってたことを思えば、2か月くらいなんてことない、と…こんなこともブログ久々に更新されたからこそ言えるわけでもありますが。
あんまりファンを心配させない程度に(苦笑)マイペースで活動して欲しいと思っています。
投稿: futashizuku | 2007年9月 4日 (火) 21時28分
futashizuku 様
コメントありがとうございますm(_ _)m
Takayoの件ですが、記事では分かったような口で書いていますが、実際のところ、彼女のアーティストとしての実力を私は未だに把握しかねております(^_^; 彼女のライブには参加したことがないので、発表された2枚(正確には1.5枚?)のアルバムから判断するしかないわけですが、1stは確かに良いアルバムだと思ったものの、2nd(特にタイトル曲)については個人的には「?」でした。
少なくともCDを聞く限りでは、「ロックなTakayo」はイマイチかなと感じてしまった次第です(^_^; まあ、実際にライブで聞くとまた違ってくるのかもしれませんし、もしかしたら2年間のブランクの影響(ロックを歌える声が戻っていない?)もあるのかもしれません。
というのも、初期からのZONEファンの中には「ロックなTAKAYO」を評価する声がけっこう多いように感じられたからです。たとえば「空想と現実の夜明け」はTAKAYOの脱退後はTOMOKAが引き継いだわけですが、両者を比較すると「やはりTAKAYOの方がかっこよかった」という(オールドファンの)意見をよく目にしました。
この意見が事実なのか、それとも過去の美化なのかは、筆者のような「後追いのファン」には判定できません。TOMOKAの場合は武道館DVDがあるからまだしも、TAKAYO在籍時のライブはその音源も映像も現状ではほとんど入手できないからです。
そのためにもソニーさんには是非、TAKAYO在籍時のZONEのライブをDVD化していただきたいところです。特に、2003年のアストロ・ツアーはTAKAYOの脱退がなければDVD化される予定だったと聞いております。この時期のライブに対するファンの需要は今でもかなり高いと思いますので、10年後の8月とは言わず(^_^;、早めのDVD化を切にお願いする次第です(鈴の音や若かりし?頃のSACCHIN達のダンサー姿も拝みたいですしね(^_^;)
あと、Takayoの不器用さについては、記事にも書いたように彼女の精神的なキャパの小ささに起因していると思います。彼女自身、自分のキャパの小ささをよく弁えているから、一つのことに集中しようとする。そして、その集中した営みが累積していってキャパの限界まで到達してしまうと、何かが弾けてしまって、活動が止まってしまう(サーバがダウンするようなものです)。そして、しばらく休んで心的なエネルギーが回復すると、ふたたび一つの営みに集中する…。
Takayoという人は、このような活動と休止のサイクルを繰り返しているようです。まあ、彼女がもう少し良い意味での「いい加減さ」(手を抜けるところでは抜く)をマスターすれば、恒常的な活動も可能だと思うのですが、それができないところがTakayoのTakayoたる由縁なのでしょう(^_^;
ですので、ファンとしては、彼女のこうしたバイオリズムを弁えつつ、温かく(?)見守っていくしかなさそうです。
というわけで長くなりましたが、Takayoについて思っていることを補足してみました。なにかと的外れの部分もあるかもしれませんが、今後ともご愛顧のほどを。
投稿: shibue | 2007年9月 5日 (水) 03時30分