MARIA1stアルバムレビュー7~「watch me」~
はしがき
8月に入り、MARIAの2度目のツアーもいよいよ目前にまで迫ってきた。既にメンバーは東京入りし、最終リハーサルに余念がない様子である。その模様については、(ZONEとMARIAに関しては人一倍)熱い記事で有名なFenderの真家さんのブログからもうかがい知ることができる。
それによれば、技術的にも表現的にも一段レベルアップしたMARIAの姿を拝めるだろうとのこと。どんなライブになることやら、今からツアーが楽しみだ。
さて当方といえば、この10日ほど雑用に追われて身動きがとれず、ブログの更新もままならずにいた。しかしそれも漸く一段落ついたので、アルバム・レビューの再開といくことにしたい。
なお、この間、更新を期待して当ブログを訪問していただいた皆様には、お手数をお掛けしたことを深くお詫び申し上げたい。お待たせいたしました。
10 watch me(作詞・作曲:TATTSU)
10・1 はじめに
おそらく本アルバム中、もっとも賛否の分かれる曲であろう。ネット上の評価を見ても、好意的に捉える意見と、ネガティブに評価する意見が半々くらいであるようだ。
筆者自身はというと、最初聞いたときはどちらかというとネガティブな評価だった。「単調で盛り上がりに欠ける曲だな」と思ったし、歌詞の内容も「MARIAらしくないな」と思ったのである。
しかし、レビューのために何度も聞き込んでいるうちに、例によってだんだん考えが変わってきた(「HEART☆BEAT」の時と同じパターン(笑)。今では「(いろいろな意味で)興味深い曲」というのが、「watch me」に対する筆者の見方である。
以下、この点について詳しく説明することにしよう。
10・2 全体の構成について
・単調な構成?
まず全体的な曲調について。この曲は一応、「Aメロ・Bメロ・サビ」という構成になってはいるのだが、Aメロとサビは(たぶん)同じコード進行であること(Aメロ=サビ)に加えて、Bメロも他の部分と似た曲調であるため、全般的に極めて単調に聞こえてしまう。
しかし、これはおそらく意図的にそうしているのであろう。それはこういうことである。
・循環する情念とその表現
この曲の主人公の女の子は、自分が彼氏の本命でないことも、彼氏に他の女(それも複数)がいることもよく知っている。にも関わらず、まだ彼のことが大好きだから離れられない。
側にいない彼のことを想って涙を流す彼女の心の中では、彼氏への愛情と憎しみ、怒りと悲しみ、切なさと虚しさといった相反する感情がグルグルと駆けめぐっていることだろう。
この揺れ動く想いは堂々めぐりを繰り返すばかりで、なかなか決着がつくことはない。決着をつけようとするなら、たぶん彼氏と別れるしかないのだろうが、彼女はまだそこまで踏ん切りをつけられずにいる…
このような主人公の「循環する情念」を表現するために、歌詞および曲のフレーズでリフレインが多用され、曲全体の構成も循環構造(Aメロ=サビ⇔Bメロ)なっているのだろう。また、サビをあえて盛り上がりに欠けたものにしているのも、先行きの見えない主人公の煮詰まった精神状態を忠実に表現するためだと考えられる。
(注)もちろん、TATTSUはそこまで理論的に考えてこの曲を作ったわけではあるまい。彼女はただ、いつものように自身の内側から湧き出るインスピレーションに従って、この曲を書き上げただけなのであろう。
しかし、(理屈は知らなくとも)詞の世界観とメロディとが合致する作品に結果的に仕上がっているあたりが、アーティストの実践感覚の為せる業なのであり、TATTSUの優れた才能の証なのである。
10・3 「あなたに…」と「watch me」の関係性
・似た者どうしの主人公
ちなみに、詞の内容からうかがえるこの曲の世界についてもう少し補足しておこう。実は、「watch me」の主人公が置かれている状況と、「あなたに…」の主人公が置かれている状況がほぼ同形であることにお気づきであろうか。
曲調がまったく違うので見落とされがちだが、歌詞をよく読んでみると、実は両者とも「彼氏から「便利な女」扱いをされている女の子」が主人公なのである。つまり「あなたに…」と「watch me」は共に、「彼氏と関係は持ったものの、彼氏の本命は別にいて、主人公の女の子もそのことはよく分かっている」というシチュエーションの曲なのだ。(注)
(注)もっとも、時間軸で見ると「watch me」の方がかなり後の段階になるのかもしれない。これについては、こちらの記事を参照のこと。
・対照的な作品世界
このようにこの二つの作品は共通する設定で出発しているものの、結果として表現されている世界は著しく対照的である。
「あなたに…」では、「彼氏への想い」が前面に出て、美しいバラードの旋律とともに「片想いのせつなさ」が強調される楽曲となっていた。これに対して「watch me」では、上記のように彼氏に対する「アンビバレントな気持ち」が、ダークで単調な旋律によって見事に表現されている。
前者が美しく脚色された片恋の物語(フィクション)であるとすれば、後者は彼氏に振り回される女の子のリアルな心象風景(ノンフィクション)であると言ってもいいだろう。
・製作過程の違い
こうした対照性は、二つの曲の製作過程の違いからきているようだ。「あなたに…」は当初から舞衣子のボーカルを活かすことを念頭に作られた曲である(あゆか・談)。おそらく曲が先行して、その旋律にフィットした歌詞が後から紡ぎ出されていったのだろう。
これに対して「watch me」は、歌詞が先行したと考えられる。実際、TATTSUは女友達とのトークの中からこの曲のモチーフを得たと語っている。女の子のリアルな恋愛模様がまず初めにあって、それを表現するためにリフレインを活かした単調な楽曲が選び出されたわけである。
同じようなテーマを扱っていながら、アプローチの違いによって全く対照的な楽曲が出来上がってくるところが興味深い。
10・4 あゆかとTATTSU~作詞家としての資質~
もちろん二つの作品の対照性は、あゆかとTATTSUの作詞家としての資質の違いによるところも大きいだろう。
・虚構度が高いあゆかの詞
あゆっぺの場合、作詞を担当した楽曲が幅広いので、彼女の書く詞の特徴を抽出するのは難しいが、どちらかというと「虚構度が高い」タイプだと思う。こう書くとネガティブに評価しているようだが、そうではない。
あゆっぺの場合、例えば現実の出来事や実体験に詞の素材を求める場合でも、それを歌詞へとまとめ上げる際には、その内容を脱文脈化させて(つまり、実際の出来事や体験が生じたT.P.Oから詞の内容を切り離して)、歌詞としてより完結した世界を構築していく。「物語の普遍性が増す」と言い換えてもよい。
だからこそ、誰にとっても共感できる親しみやすい内容となるのだ。「夏えがお」はその典型だし、「あなたごしのイルミネーション」なんかもそうである。
・TATTSUのリアリズム
一方、TATTSUの歌詞は、よりリアリスティックである。つまり、歌詞の世界と現実の出来事との距離が近いのだ。「watch me」はその典型だし、「MABUDACHI」も彼女の実体験がかなり反映されているのではないだろうか。(注)
(注)本アルバムには収録されていないが、「星の約束」は彼女のお祖母さんの死に際しての経験をリアルに歌ったものである。
このため、歌詞に感情移入できた場合はその感動度(カタルシス)は非常に強くなるが、受け入れられないという人も多く出てくる可能性がある。「watch me」はまさにその典型で、これと良く似た経験を持つ女性リスナーなら文句なくこの曲に共感するだろうが、男性陣のなかにはこの曲が苦手だという人も少なくないだろう。(注)
(注)なにしろ歌詞の背後から「女の暗い情念」がかいま見えるものだから、男にとって居心地の悪いことこの上ない(笑)
ちなみに、ライターの安部貴志さんは「watch me」の歌詞について、男目線/女目線という視点から興味深い分析を行っている。こちらの記事を参照のこと
その意味で、TATTSUの書く詞はリスナーを選ぶという側面もあるのだ。もちろん、どちらがいい悪いの問題ではない。これは「作詞の構え」の違いに過ぎず、あゆっぺもTATTSUも作詞家としての自分の資質を伸ばしていけばいいだけの話である。(注)
(注)ちなみに、MARIAのもう一人のメイン・ライターは舞衣子だが、「小さな詩」のように実体験を元にした詞を書くかと思えば、「h@ッちゃけ」のようにメッセージ性の強い歌詞を書いてみたり、さらに「あこがれ」(アルバム未収録)ではメルヘンチックな詞も飛び出してきたりするので、いまだに彼女の作詞の特徴をつかみ切れていません(笑)
今回、収録されなかった曲のうち、「恋風」や「眠れない三日月」といったラブストーリーの作詞もたぶん舞衣ちんだと思うのだが、確認が取れていないので、今回はあえて触れないことにします。あしからず。
10・5 アレンジについて
さて、歌詞の話はこれくらいにして、楽曲についてもう少し細かく見ていくことにしよう。
・80年代的アレンジ?
まずアレンジについてであるが、「watch me」を一聴して思ったのが「80年代っぽい曲だな」ということ。U2の名前を挙げている人もいるが、あの時代、こういうタイプの曲がけっこう流行っていたのだ。具体的に言うと、SACCHINの細かいシーケンス・フレーズやバッキングの薄いシンセ音などがそれにあたる。
リズム隊などは、ポリスの「見つめていたい」のAメロあたりを参考にしているように思うのだが、いかがであろうか。もちろんメロディーは全く違うが、ドラムの音質などそっくりだし、爪弾くようなベース音(?)もこのあたりがネタ素なのかな、という気がする。
当然、この時代のことをMARIAのメンバーが知っているはずもないから(まだ生まれていない(笑)、この辺りの音づくりはプロデューサーの明石昌夫氏のディレクションによるものなのだろう。(注)
(注)しかし、このように露骨に手の内(ネタ素)をさらしてみせるあたり、明石氏もお人が悪い(笑)
この時代のことを知らない若いリスナーにとっては単に新鮮に聞こえるだけであろうが、年輩のリスナーには「お、懐かしい」という気にさせ、さらに筆者のような中途半端な音楽通に対しては「このアレンジのネタ素は…」と食いつかせる、そんな二重・三重の仕掛けを彼はこの曲に施しているのではないか?
まあ、考えすぎかもしれないけど(笑)、「h@ッちゃけ」のイントロでも「B・BLUE」の冒頭部をパクって(笑)くるなど、何か確信犯的な意図を感じてしまうのだが、真相や如何に。
10・5 れいなのバイオリン演奏について
・短い演奏歴と不安定な音色
閑話休題、話を演奏面に移そう。
この曲で何と言っても目立つのがれいなのエレクトリック・バイオリンである。というか、哀愁ただようこの曲の雰囲気を規定しているのは、ひとえにこのバイオリンの音色に拠る。だからこそ、実はライブでは非常に心配だったりする。
彼女のバイオリン歴は非常に短い。確か小学校の時、1年くらい習っただけで、本格的に練習を再開したのは「つぼみ」のレコーディングの直前くらいだったと記憶している。まあ、それから毎日練習したとしても、トータルではまだ2年くらいにしかならないわけだ。当然、ビブラートのようなテクニックはまだ使えないし、ライブでも音程がきわめて不安定だった。(注)
(注)これは別にれいなの責任ではない。バイオリンはギターのようにフレットがついているわけではないから、正確な音程を取れるようになるまで時間がかかる(身体で覚えるしかないから)。したがって、2年かそこらのキャリアでは音程が不安定なのが当たり前なのだ。
・スキルアップの必要性
「つぼみ」の時は、アレンジャーもおそらくその辺りのことをよく弁えていて、ギターとユニゾンで演奏させたり、2番の後のソロの場面でも「ギターとの掛け合い」という形にして、バイオリンの音色だけが前面に出ないよう配慮していた(音程がズレても目立たないように、というわけである)
しかし、今回の楽曲ではバイオリンの音色が前面に出ている。加えてソロの場面ではかなり即興っぽいアレンジで演奏されている。もちろんこれは真の即興演奏ではなく、スタジオ・ミュージシャンに譜面を渡して、即興っぽく演奏してもらっているのだろう(しかも、あまり高度なテクニックを使わせずに(笑)
当然、れいなには即興などまだ無理だから、ライブではCDで演奏されたメロディーを忠実になぞることになると予測される。そして、そのこと自体は少しも悪いことではない。
むしろ筆者が気になるのは、「メロディーを忠実になぞれるだろうか」という点である。「つぼみ」の時と違い、今回はバイオリンの音色が楽曲の鍵を握っているから、ちょっとでも音程がズレると、全体の演奏の雰囲気が台無しになってしまうおそれがあるのだ。
音程のずれたバイオリンの音色ほど、聴く者の心を侘びしくさせるものはない(笑)。れいなにはバイオリンの技量の更なるスキルアップを願う次第である。(注)
(注)ちなみに何でこんなにバイオリンの音色にこだわっているのかというと、筆者自身にあるトラウマがあるからだ。
実は筆者は3歳から10歳までバイオリンを習っていた。別に音楽家を目指していたわけではない。「バイオリンを弾くと頭が良くなる」という当時はやった俗説を母親が信じ込んで、無理やり筆者に習わせたわけである。
そして、中学受験の準備(塾通い)で忙しくなってきたら、案の定、あっさり止めさせられた(まあ、筆者も当時は好きで習っていたわけではなかったから、辞めること自体には抵抗はなかったのであるが(笑)
で、トラウマというのは、バイオリンを辞める年に行われた演奏会での話である。通常、自分の演奏の順番が来る10分くらい前に先生にバイオリンの調律をしてもらうのだが、この時は先生が忙しそうだったのでつい遠慮してしまい、自分で調律して舞台に立った。
ところが、演奏を始めるとすぐに音程が狂っていることに気づいてパニックになってしまったのである。結局、演奏を途中で中断させられ、舞台の上でバイオリンを調律して再演奏するという、非常にぶざまな姿を観客や家族の前でさらすハメになった(汗)
たぶん、この時のトラウマなのだろう。それ以来、音程の狂ったバイオリンの音色を聞くと、金○の裏側がムズムズするような嫌な気分になるのである。なぜ、○玉の裏側がムズムズするのかは不明だが(笑)、ともかくそういう次第であるので、れいなにはできるだけ音程を外さないでいただきたいのである。
10・5 ボーカルについて
・ある書き込み
さて、話をボーカル面に移そう。
以前、MARIAのOFFICIAL WEBSITEの掲示板に、「watch me」のボーカルをやんわり批判するコメントが掲載されていた。「Vocalの2人はこの曲のような大恋愛をしたことがあるんですか? あまり伝わってくるものがなかったので」という内容だったと思う。
まあ、そう思われても仕方がない部分もあるのかもしれない。少なくとも愛華マンは、大恋愛はしてなさそうである(苦笑)
・虚ろなボーカルの必要性
しかし、あえて二人の弁護をするなら、この曲ではむしろあまり感情を込めない歌い方で正解なのだ。歌詞の分析のところでも書いたが、主人公の女の子は彼氏との宙ぶらりんな関係に消耗しきっている。
そのような状態にある彼女の心象風景を表現するには、むしろ感情表現を抑えた方がよい。虚ろなボーカルの背後に、女の子の暗い情念や狂気のようなものが顔をのぞかせる、たぶんそんな効果を狙って、このように抑制された歌い方になっているのだろう。そう筆者自身は深読みしている。
まあ、件のコメント主にはそれが伝わらなかったようだが、二人の表現力がまだそこまでいっていないことも、紛うことなき事実なのだろう。そのことをあのコメントは冷徹に示しているわけだ。
・愛華のボーカルの適性
ただ個人的には、「watch me」における愛華マンのボーカルに心触れるものがあった。彼女のボーカルに心を動かされたのは、実は今回が初めての経験である。
これまでのレビューをお読みいただければ分かるとおり、筆者は愛華マンのボーカルにはかなり辛口のコメントをしてきた。特にバラードに関していえば、舞衣ちんとの落差が耳についてしまうことをたびたび指摘した。
もちろん、今後の経験や訓練によってある程度の歌唱力のアップは可能であろう。しかし、持って生まれた声質や声量・音域の劇的な改善は期待できまい。ならば、愛華マンは舞衣ちんのボーカルの補佐役に徹した方がよい。そんな風にも思っていたのだ。
しかし、「watch me」の彼女のボーカルを聞いて、少し考えを改める気になった。案外、彼女の声はこうしたタイプの大人っぽい曲にフィットするのではないだろうか。実際、2番での彼女の気だるい感じのボーカルは、舞衣ちん以上に説得力があるように感じられた。
もしこの手の楽曲を愛華がソロで歌えるようになれば、MARIAの表現世界がさらに拡がることになる。舞衣ちんもノドを休めることができるし、彼女がベースに専念する姿も再び拝めることになるだろう。(注)
(注)実は筆者は、ベーシストとしての舞衣子の姿も大好きなのだ。特に、あの顔をカクカクさせながら(笑)身体全体でリズムを取っている姿には、たまらなく心惹かれるものがある。
・恋をしよう、愛華マン!
もちろん現段階では、歌唱力という点でも表現力という点でも、愛華がソロを取るにはまだまだ力不足である。しかし、あと何年か先、彼女が恋愛を含む様々な経験を積んだ「いい女」になっていれば、きっとそのボーカルの説得力も増していることだろう(声に「艶」も乗っていそうだし…)
しかもあのルックスである。外見だけなら今でもじゅうぶん「大人」なのだが、いかんせん「巨大な三歳児」なため、内側から滲み出てくる色気というものには、現時点では著しく欠けている(ちょっと言い過ぎかな?)
しかし、彼女が内面的にも「大人」になり、成熟した女性の色気を内側から醸し出しながら歌うようになれば、音楽的にもヴィジュアル的にも「watch me」のようなアダルトな曲が愛華の(ひいてはMARIAの)キラー・チューンになる可能性がある。そんな気がするのである。(注)
(注)ただ、問題は当の本人がいっこうに大人になろうとしない点だ。
『R&R NEWSMAKER』(8月号)の竹内美保さんによるインタビューでは、ずっと「子供心をもっていたい」と発言しているし、一足先に精神的に大人になってしまった(愛華・談)れいなに対しては、「なんでそっち行っちゃったのー!」とごねている(苦笑)
まあ、その気持ちも分からないでもないが、MARIAのさらなる発展のためには、彼女にいつまでも「三歳児」でいてもらっては困るのである。
「恋をしろ、そして大人になれ、愛華マン!」
以上、おっさんファンからのメッセージでした(笑)
10・6 愛華のベース・プレイについて
・識別しにくいツイン・ベース
ついでに、愛華のベース・プレイについても触れておくことにしよう。舞衣ちんと愛華マンのツインベースについてだが、どちらが通常のベース・ラインを弾きどちらがメロディーラインを弾くのかは曲によって異なり、現時点では固定化していないようだ。
CDを聞く限りでは、どちらがどのパートを弾いているのか区別できないし、DVDを視聴してもツイン・ベースがどのように絡んでいるのか、素人の筆者には今ひとつ判別できない。また、プレイ・スタイルも共に指弾きという点で共通している。
・差別化のススメ
そこで提案だが、ベース・プレイについてもそろそろ両者の差別化を図ってみてはいかがであろうか。例えば、舞衣ちんは従来の指弾きのままで、愛華マンはピック弾きをメインにする、とか。そうすれば、CDを聞くだけでもベース音の区別がつきやすくなるし、ふたりのプレイ・スタイルもより個性的になるだろう。
特に愛華マンには、ベースの更なるスキル・アップを望みたい。愛華が「大人のボーカル」を聞かせられるようになるまでかなり時間がかかりそうだから(笑)、せめてその間、ベースの技量だけでも舞衣ちんを追い抜くつもりで頑張ってほしいものである。
・愛華への期待
ちなみに、筆者が彼女に厳しいコメントをつけるのは、MARIAの未来はひとえに愛華マンの成長にかかっていると思うからである。
もちろん現時点でも彼女は、特にヴィジュアル面でバンドに大きな貢献をしている。トリックスター(=いたずら娘)として、ある種、バンドのメンバーの絆を深める役割も果たしているのかもしれない。また、MCもうまくなったし、少しずつではあるがボーカリスト・ベーシストとしての成長も遂げてきている。
しかし、まだまだ物足りない。舞衣子の存在を脅かすくらいまでに愛華マンが成長して初めて、MARIAは全国区のバンドになれる、そんな予感がするのである。
だから頑張れ、愛華マン!
10・7 ライブにおける「watch me」の効用
さて、最後にライブにおける「watch me」の扱いについて触れておくことにしたい。この曲の意義はライブにこそあると思うからである。
・構成の柔軟化
昨年のツアーでは、MARIAのセットリストは大まかに言って、《アップテンポの盛り上げ系》と《しっとり聞かせるバラード系》という2種類の楽曲しかなかった。このため、ライブの構成がどうしても単調になってしまうきらいがあった。(注)
(注)例えば、昨年は中盤でアコースティックなナンバーが連続した結果、序盤にせっかく盛り上がった雰囲気がややダレてしまう傾向があった。
しかし、今年は「watch me」や「MABUDACHI」というミドル・テンポの曲が入ることによって、セットリストをより柔軟に構成することができる。具体的には、曲と気分の移行(ウォームアップやクールダウン)がよりスムーズになることが予測されるのである。
・ボーカルの負担の軽減
次に、ライブにおける「watch me」のもう一つの効能として、「ボーカルの負担」という点を指摘することができる。
常識的に考えれば、アッパー系の曲(及び、それにともなう観客への「煽り」)の方がノドに及ぼす負担が大きいと考えられがちであるが、実はバラードも結構ノドを酷使するのである。
特に、舞衣子の場合、ノドを絞ってしゃくり上げるような歌い方をしていたから、その負担は相当なものだったろう。彼女が昨年のツアーでノドを潰してしまったのは、上記のような歌唱法に加え、アッパー系とバラードしかないという楽曲編成の影響も大きかったと思う。
しかし、今年は「watch me」や「MABUDACHI」のようなミドル・レンジの音域の楽曲が増えることにより、ボーカルのノドに与える負担がある程度は緩和されるものと予想される。
まあ、TATTSUはそこまで計算してこれらの曲を作ったわけではないだろうが、結果的にこのような効能をもたらす曲ができてしまうあたりが、彼女の才能の一端なのかもしれない。
・メンバーの表情について
ただ少し気にかかるのは、メンバーが「watch me」をどんな表情で歌ったり演奏したりするのか、という点である。
詞の内容上、笑顔はそぐわないし、せつない系の表情とも少し違う気がする。となると、ZONEの「証」の時のように、少し怒ったような表情になるのだろうか?まあ、それはそれで楽しみではあるのだが (笑)(注)
(注)そういえば、ZONEの解散コンサートでは、「白い花」や「僕の手紙」でボーカルの出番のないTOMOKAがギターを弾きながら何ともいえないせつない表情をしていたのを思い出した。今にして思えば、あの「顔芸」も彼女の武器の一つだったのだろう…
10・8 終わりに
以上、「watch me」について長々と語ってきたが、筆者が冒頭で「興味深い曲」と書いた所以(ゆえん)がお分かりいただけたであろうか。
たしかに、この曲それ自体は「誰にとってもいい曲」という類の名曲ではけっしてない。しかし、いろいろな面で「突っ込み所」が満載な曲であることは確かである。「突っ込み所」というのは悪い意味でなく、聞き手にいろいろな「発見」や「見解」そして「妄想」を喚起させてくれる、ということである。
実際、筆者などはレビューを書いているうちに、様々な「発見」や「妄想」に次から次へと遭遇して、非常に楽しい経験をさせていただいた(そのかわり、記事がまとまるまで4日もかかってしまったが(汗)。
他のリスナーの皆さんはいかがであろうか?ぜひご意見をお聞きしたいところである。
あとがき
というわけで、レビューの第7弾をようやく書き上げることができました(今回はとりわけ長かった!)
さて、明日(8月10日)からはいよいよMARIAのツアーが開始されます。それまでには、全曲のレビューを終わらせたかったのですが、どうやらそれは難しそうです(ゴメンナサイ)
残るレビューはあと1回。できれば今週中にも書き上げて、来週のライブに備えたいと思います(一応、14日のチケットは確保しました)
それでは、次回のレビューをお楽しみに。
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