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2007年7月16日 (月)

MARIA1stアルバムレビュー5~「h@ッちゃけ」~

7 h@ッちゃけ(作詞:舞衣子、作曲:あゆか)

7・1 概要

 MARIAお得意のウルトラポジティブ・ソング(笑)。やはり彼女たちには、こうした明るく前向きで疾走感のある楽曲が似合う。

 もともとは「はっちゃけ!笑顔(スマイル)」というタイトルで、「小さな詩」「つぼみ」「空来~ソラ~」と並んで最初期から演奏されており、MARIAにとっても古くからの(?)ファンにとっても馴染み深い曲の一つであろう。

 昨年のライブでは「HEART☆BEAT」とペアーで演奏されることが多く、その後のクライマックス(「JUMP」や「high*2 フライング☆」)へ向けてのブリッジ的な役割を果たしていた。

7・2 歌詞について
・詞の書かれた時期と状況

 まず歌詞から見ていこう。一見すると脳天気なくらいの現状肯定(「今がよければいいじゃん!」)ソングだが、この詞が書かれた時期や状況を考えると、別の光景が浮かんでくる。

 舞衣子がこの詞を書いたのはおそらく、2005年の春か夏。ZONEの解散からMARIAの結成へ向けて、彼女の運命が大きく揺れ動いていた時期である。彼女の置かれていたこうした不安定な状況が、当時作られた楽曲の歌詞に影響を及ぼさないはずがない。

・姉妹作としての「つぼみ」?

 例えば、同時期に書かれたと思われる「つぼみ」の歌詞(作詞はMARIAとなっているが、最初の歌詞は舞衣子が作っていたらしい)は、将来への不安が色濃く表れた内容となっていた。

 一方、「はっちゃけ!笑顔」の基本テーマは、そうした不安なんか笑い飛ばそうというもの。暗い顔をしている「君」へのメッセージ・ソングという形式にはなっているが、この「君」が舞衣子本人でもあることは言うまでもない。

 つまり「つぼみ」と「はっちゃけ!笑顔」は、楽曲の雰囲気や(表向きの)詞の表現こそ対照的だが、実は同じモチーフ(不安とその克服)について歌っていると考えられるのである。

 そう思って改めて「h@ッちゃけ」の歌詞を読み直してみると、当時、舞衣子が経験したであろう感情の起伏が、きわめてリアルに表現されていることが分かる:

「晴れと雨のように 笑ったり泣いたり
 時には台風のように 暴れちゃったり」

 こうした両極的な感情をそれぞれ歌詞にしたものが、それぞれに相応しい楽曲と結びついて、《ダークでやや悲観的な「つぼみ」》と《明るくポジティブな「はっちゃけ!笑顔」》という対照的な作品へと結実することになったのであろう。(注)

 (注)アルバムでこの二曲が並んでいるのも、案外、そうした事情(つまり、両者がある種の姉妹作であること)によるのかもしれない。

・誠実に自己と向かい合った歌

 えーっと、話がゴチャゴチャしてきた(苦笑)。要するにここで言いたかったのは、この歌がただ単に現状肯定的で享楽的な世界観を歌ったものではないということ。

 むしろ、誠実(マジメ)な性格の人が、その誠実さゆえに陥りがちな不安や鬱のモードから自らを解き放とうという、痛々しいくらい誠実な試み(「泣きながらも笑え」「ムカムカしても騒げ」)について歌った歌だということである。

 実際、舞衣子自身、自分のこうした不安定な気持ちを作品として誠実に吐き出し、またファンに向けて誠実に歌うことで、自らを癒していったのかもしれない。

 とまあ、こんな文芸評論的な深読みも可能なわけです(笑)

・形而下的な解釈

 ちなみに、舞衣子が「リリース目前『You Go!~We are MARIA~』スペシャル!!! 」(配信は7月17日までなので、視聴はお早めに)で語っていたところでは、「h@ッちゃけ」の歌詞は深夜から作り始めて明け方頃にできたとのこと。

 つまり、詞を書いているうちに乗ってきて(あるいは、歌詞の提出締め切りに追われて?)ある種の「ナチュラル・ハイ」状態にあったから、歌詞の内容もハイテンションなものになった、というわけだ。

 まあ、これがいちばん真相に近いのだろうが(爆)、上記のような当時の状況も少なからず詞の内容に影響を及ぼしていたであろうこと、そして「この歌が誠実な歌である」ということについては、改めてここで強調しておきたいと思う。

7・3 楽曲について
・あゆっぺのバランス感覚

 次に楽曲について。作曲はあゆかだが、あゆっぺは本当にこうしたポップな佳曲を作るのがうまい。彼女の作る曲はバランスがよいというか、一聴してすぐ覚えられる親しみのある曲が多いのだ。この曲などまさにその典型であろう。

 ちなみに、現時点でのMARIAのメイン・コンポーザーはあゆかとTATTSUの二人。TATTSUの作る楽曲については「watch me」のところで詳しく触れたいと思うが、TATTSUに比べるとあゆっぺが作る楽曲は、よりバランスの取れた曲が多いと思う。

 「high*2 フライング☆」や「HEY*2♪ブン*2♪」といったアッパー系の曲でも、やっぱり「良い曲」に収まるあたりが、彼女のバランス感覚の為せる業なのであろう。

 ただ、そうしたバランスの良さがマイナスに作用することもあるかもしれない。つまり、「誰にとっても良い曲」というのはしばしば、単なる「よい曲」で終わってしまう、つまり強いインパクトを与えられずに終わってしまう可能性があるのだ。

・ヒット曲のメカニズム~シクベのケース~

 ヒットする曲というのは、どこか「尖った箇所」や「ひねった箇所」があるというのが筆者の持論である。

 たとえば、ZONEの「secret base~君がくれたもの~」を例に挙げると、サビの「10年後の8月 また出会えるのを 信じて」の「ま」の部分。ここで一瞬、ボーカルが裏声に近くなる(実際に裏声になるわけではない。高音のため、どうしてもボーカルが高く細くなる)のだが、これが聴き手に強いインパクトを残すのだ。

 もちろん、「シクベ」がヒットしたのには、それ以外にも様々な要因が作用してのことだろう(全体的なメロディーの良さ、誰にでも経験のある歌詞の内容、PVの良さ、ドラマとのタイアップ、等々)。

 しかし、こと楽曲だけに着目した場合、サビのあの部分が聴き手の印象度に及ぼした影響は極めて強かったと思われるのである。(注)

 (注)ちなみに、シャ乱Qの「ズルイ女」も同じパターン。というか、「ズルイ女」の方が発表されたのは先(1995年)だから、町田先生の方が影響を受けたのかもしれない。

・マニュアルを越えるには

 まあ、こうした「ヒット曲のメカニズム」はとっくの昔に分析されマニュアル化されており、作曲家チームは日々、こうしたマニュアルに準拠しながらキラー・チューンやキラー・メロディーを折り込んだ楽曲を量産しているのであろう。

 近年メガヒットがなかなか出ないのも、曲の水準自体が落ちているのではなく、むしろ「良い曲」が氾濫し過ぎて(結果的に)どの曲の価値も相対的に下がってしまうという、典型的なインフレ作用によるものだというのが筆者の見解である。

 なお、こうした状況に対抗するには、やはり自分で曲を作っていく、できれば頭(理論やサンプリング)で作るのではなく、身体感覚を通じて曲を作っていくしかないと思う。プロの作曲家に依頼しても結局は上記のインフレに巻き込まれるだけだろうから。

 その意味でMARIAの面々が自作曲で勝負しようとしているのは、きわめて正しい選択と言えるわけだ。

・作曲家あゆかのこれから

 閑話休題(それはさておき)

 あゆっぺの作る曲についてだが、彼女の曲には本当にクセのない素直なメロディーのものが多い。ただ、先ほども述べたとおり、TATTSUが作った曲(「小さな詩」や「MABUDACHI」)に比べると、ややインパクトに欠ける側面もある。それにどう対処していくかが、彼女のこれからの課題となるのではないだろうか。

 もちろん、より尖った曲・捻った曲づくりは他のメンバーに任せて、あゆっぺはこれまでのように素直な佳曲を書いていくというのも、一つの選択肢ではある。MARIAはチームなのだから、全員が捻った曲を書く必要はない。うまく役割分担をすればいいだけの話である。

 そしてその場合、あゆっぺは現在の路線を推し進めて、ある種スタンダードになるような佳曲をどんどん書いていけばいいわけだ。

 だが、場合によってはあゆっぺが「捻った曲」や「尖った曲」を書かざるをえない時も来るかもしれない。その時こそ、彼女の真の作曲能力が問われるのだと思う(個人的には、あゆっぺには第一の路線、つまり、現在の素直な作曲路線でいて欲しいのだが…)

7・4 アレンジについて
・シンプルでソリッドなアレンジ

 さて、第三にアレンジについて。実は今回のアルバムに収録された「h@ッちゃけ」は、ライブで演奏されていたバージョンに比べると、かなりシンプルな作りになっている。

 ライブ・バージョンでは、れいなのキーボード(ハモンド・オルガン音)とあゆかのギターがフィーチャーされたかなり煌びやかなアレンジとなっていたが、アルバム版ではよりソリッドで疾走感のあるサウンドが醸し出されているのだ。

 以下、この点についてもう少し細かく見ていこう。

・隠し味としての80年代サウンド?

 まずイントロの出だしがBOOWY(ボウイ)の「B・BLUE」の前奏に似ていて、「おッ?」と思ってしまった。この曲が流行っていた頃(1986年)はMARIAのメンバーは生まれたばかり(高校生組はまだ生まれていない)なので、これはアレンジャーの明石昌夫氏の趣味?なのかもしれない。

 まあそれはともかく、以後はリズム隊とギターが強調された音になっており、れいなのキーボードはバッキングに徹している。ただこのキーボード音も、1980年前後の薄く冷ややかなシンセ・サウンドを思い出させて、ちょっと萌えてしまった(笑)

 そして前面に出ているギターも、カッティングとサビのリフ以外はソロもなく、かなり音数が絞り込まれたアレンジとなっている。

 なおツインベースについては、例によって判別不能(汗)。(「気楽にいけばいいじゃん!」の後の)「いいじゃん!」のかけ声にユニゾンで合わせているのがベース音に聞こえるが、それ以外の箇所については(ベースの絡みは)よく分からなかった。

・新バージョンで失われたもの

 というわけで、全体的にかなりシンプルでソリッドなアレンジが採用され、曲の疾走感もグッとアップすることとなった。ただ、個人的には以前のライブ・バージョンの方がお気に入りだったりする。

 というのも、(上でも触れたように)ライブではれいなのキーボードがかなりフィーチャーされていたのだが、彼女の奏でるグリッサンド(注)が筆者の好きな1970年代のキーボード奏者(ジョン・ロードやキース・エマーソン)を思い起こさせてくれたからだ。

 (注)和訳は「滑奏法」。具体的には鍵盤に指を滑らせて、以下のような音色を奏でること。
 ちなみにアルバム9曲目の「JUMP」で、こうしたハモンド音を多用したキーボード・ワークが採用されている。したがって、明石氏は曲調が似通ってしまうのを防ぐために、あえて「h@ッちゃけ」の方のアレンジを変えた可能性も考えられる。

「grissando.MP3」をダウンロード

 そんなわけで70年代的なサウンドが好きな筆者の耳には、新しいバージョンは疾走感と引き替えに(ハモンド・オルガン音が醸し出していた)「煌びやかさ」を失ってしまったように聞こえたわけだ。

 まあ、これは好みの問題であるし、アレンジにしてもMARIAの面々の意見がかなり取り入れられているとのことだから(注)、明石氏に不満をぶつけるのは筋違いというものだろう。実際、アルバム・バージョンが悪いというわけではなく、これはこれでかっこいいアレンジであることは確かなのだから。

 (注)『R&R NEWSMAKER』7月号の竹内美保氏によるインタビュー(54頁)を参照。

 ただ、ライブで聞けるバージョンが(アルバム・バージョンに劣らず)魅力的なサウンドを醸し出していたことも確かである。今後、MARIAがライブDVDなどを発表するあかつきには、旧バージョンの「h@ッちゃけ」も収録していただきたいものである。一年増ファンからのお願いでした(笑)

7・5 タイトルについて
・なぜこのタイトルに?

 最後に本当のダメ出しを一つだけ。冒頭にも書いたが、この曲の旧タイトルは「はっちゃけ!笑顔」であった。歌詞の内容にフィットしたいい題名だと思うのだが、なぜそれをわざわざ「h@ッちゃけ」に変更したのであろうか?こればかりは理解に苦しむ。

 最近の若い人々のあいだでは、携帯メールの影響で@や絵文字・顔文字を多用するのが常識となっているようだ。MARIAもそうした世代にあたるから仕方がないといえば仕方がないのかもしれない。(注)

 (注)あるいは、そうした若い世代(おそらくアルバムの購買層と想定されている)へのインパクトを与えるために、あえてこうした変則文字を曲の題目に入れたのかもしれない。

 しかし、年輩の人や若い世代でも「(いわゆる)マジメな」人は、そうした絵文字の多用を好ましく思わない人も多い。そうした人は多分、「h@ッちゃけ」とか目にした瞬間、拒絶反応を起こしてしまうのではないだろうか。

・幅広い層にMARIAのサウンドを届けるために

 なぜこんな説教臭いことを書くのかというと、MARIAの音楽を若い世代だけでなく、もっと幅広い年齢層の人々に聞いて欲しいからである。おそらくソニーやランタイムの販売担当者は、MARIAの購買層を「10代後半から20代前半の男性」に設定しているのだろう。

 しかしMARIAの音楽は、むしろそれ以外の世代にこそ受け入れられる余地があるのではないだろうか。具体的には小中学生やその両親世代(30代後半から40代前半)がそれに当たる。

 MARIAの曲は健全で前向きなものが多いから(小学校で道徳の授業をするくらいだし(笑))、小中学生にはぜひ聞いてもらいたいし、楽曲やアレンジにはけっこう懐かしい要素(ハモンド・オルガン音とか、ギターのリフのパターンとか)が散りばめられているから、子どもたちの両親世代にとっても受け入れやすいのではないかと思う。(注)

 (注)ちなみに、本当は10代後半から20代前半の女性、つまりMARIAと同世代の女性にこそMARIAの楽曲を聴いて欲しいのだが、残念ながらこの世代の趣向とMARIAの志向している音楽はおそらくかなりズレているだろう。
 また、同世代のオタッキーな男性ファンの存在が、そうした潜在的な女性ファンの新規参入を阻んでいるという悲しい側面もあったりするので、この層の女性ファンの獲得にはかなり時間がかかるものと推測される。

 筆者自身は、MARIAの奏でる音楽は幅広い年齢層の人々に受け入れられるだけの普遍的なクオリティーを保持していると確信している。だからこそ、楽曲が聞かれる前にリスナーの拒絶反応を引き起こすようなことは、できれば避けていただきたいのだ。

 もし関係者の方が見ているようでしたら、その辺の配慮をよろしくお願いいたします。

………

 というわけで、夜中から明け方にかけてブログの原稿を書き続けているうちに、だんだんハイになってきて、文章の方もおかしなノリになってきました(笑)。舞衣子もこんな状態で詞を書いていたら、そりゃあんな風にハイな内容になるわいなと、身をもって実感した次第でございます。

 さて、次の更新はいつになることやら…。とりあえずしんどくなったので、もう寝ます。それではみなさん、お休みなさい。

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コメント

2回目のコメントで失礼します。
いゃ~、今回も鋭いレビューですね。(笑)
実際、悲しいかなMARIAは、関係者に対てもアイドル(?笑)にしか見られていない感じがします。ライブについては、CDとはアレンジも違ってそれなりに楽しめるので良いのですが、いつまでも大男達が飛び跳ねる運動会(笑)ではどうしようもありません。グラビアアイドル?のような見世物的な販促体制も最悪です。
MARIA の音楽は10代、20代のお金のない男性ファンだけではなく全世代層へ、特に同世代の女性にもじっくり聞いて欲しい音楽だと仰るところは、全くの同感です。
師匠の町田氏には、まだまだ及ばないかも知れませんが、舞衣子が目指している音楽ベクトルは全く変わっていないと思います。うまく説明できないのですが、MARIAにおいても普遍的な同質の匂いがするのです。ただ、ボーカルに不釣合いな歌詞の楽曲は、いくらMARIAの作品とは言え拒絶反応が…。例えば「LOVEじゃなくてLIKEなの?」これは舞衣子の音楽史を完全否定しているようで頂けませんね。(いささか個人的意見ですが…笑)
何はともあれ、今回のレビュー内容、フタッフや販促担当の皆様に、是非読んで頂きたい。そう願うばかりです。

投稿: のいちご | 2007年7月16日 (月) 12時31分

 のいちご様
 
 毎度コメントありがとうございます。御返事が遅れ申し訳ありませんm(_ _)m
 
 MARIAがアイドル視されてしまうのは、ZONEつながりということもあり、当面は仕方のないことなのかもしれません。ただ、それによってオーディエンスの範囲が狭まってしまうのはいかにも残念です。アイドルに対する日本人のまなざしはかなり偏ったものですから、どうしても軽く見られてしまいがちです。まあ、かくゆう私もZONEを知るまでは、アイドルを舐めていましたから、偉そうな事は言えませんが…(^_^; 
 
 あと、アイドルファンとアーティスト・ファンの「敵対的棲み分け」みたいなものも、MARIAにとって不利に働くかもしれません。つまり、アイドル・ファンはアーティスト(バンドも含まれる)の音楽を「高級ぶりやがって」と言って聴かないし、アーティストのファンはアイドルの音楽を下に見て聴かないという、不毛な力学に引き裂かれているというのが実状だと思うのです。となると、MARIAのように「アイドルを引きずったバンド」は、そのどちらからも聞かれない可能性が出てくるわけです(^_^;。

 私から言わせれば、アイドルもアーティストもどちらも立派なエンターテイナーなんだから、すなおに両方楽しめばいいじゃんと思うのですが、一人のアイドルやアーティストに実存を賭けているファンにとっては、私のような日和見的な態度は許せないらしいです(やれやれ。)
 
 まあ、MARIAの方向性は最終的には「アイドル的なバンドから本格的なバンドへ」というベクトルになると思います。そのことは本人たちもスタッフ・サイドもよく分かっているはず。ただ、現在のファン層がMARIAにアイドル性を求める10代・20代の男性がほとんどであること、また、他の年齢層にMARIAの知名度や音楽性を広めていくにはまだ時間がかかりそうであることを鑑みると、当分は「アイドル性を求める男性ファン」のニーズを満たしつつ音楽性も高めていくという、「二重戦略」を取らざるを得ないのではないか、と思います。その意味では、今回の舞衣ちんと愛華マンの「握手行脚」もやむを得ない販売戦略だったのかもしれません。
 
 ただ、MARIAのいわゆる「オタ」的なファンの方は、他のアイドル(グループ)のファンと比較すれば、まだまだ健全なのではないか、という気もします(^_^; けっこう、慎み深い人が多いのではないでしょうか。あとは、女性ファンが来やすいよう、ちょっとした心配りをしていただければよいのではないか、と。ゆくゆくは、MARIAの男女のファンのあいだでロマンスが生まれて、なんてことになれば目出度いのでしょうが、その日が来るまではまだ当分時間がかかりそうです。
 
 すみません、また妄想トークになってしまいましたね。何にせよ、ファン層は少しずつ広げていってもらいたいものです。個人的には洋学ファンの人にはぜひMARIAの音楽を聴いて欲しいんですけどねー。けっこう、70年代・80年代の音楽アイテムを使っているから、その素養がある人は絶対好きなると思うんですけど。あと、ツインギター・ツインベースという構成上、ポップな曲を歌っているのに演奏(アレンジ)はけっこう複雑というあたりも、なかなか玄人好みだと思います。
 
 高校生組が卒業して活動のフル稼働が見込まれる来年から、また新たな動きが出てくるのではないかと期待しております。ライブの回数も増えるでしょうし(というか、これが絶対条件)、メディアの露出も増えるのではないか、と。個人的には、5年も10年も続く長寿バンドになって欲しいと思っています。
 
 それから、各所で評判のイマイチな「watch me」につきましては、私なりに思うところもありますので、またレビューで詳しく触れたいと思います(例によって、いつになるかは分かりませんが(^_^;)。
 
 というわけで長くなりましたが、今後ともよろしくお願い申し上げます m(_ _)m

投稿: shibue | 2007年7月17日 (火) 03時11分

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