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2007年6月12日 (火)

もう一つのMARIA 或いは original RedWorker’z

 MARIAのファースト・アルバム『You Go!~We are MARIA~』が、6月20日にいよいよ発売される運びとなった。デビューしてからアルバムの発表までかなり時間がかかったので、ヤキモキしたファンも多かったと思うが、まずはめでたいことである。

 アルバムのレビューについては後日またすることにして、今日は「もう一つのMARIA」というテーマについて書くことにしたい。

1 MARIAとRedWorker’z

1・1 RedWorker’zとは?

 MARIAの前身が「RedWorker’z(レッドワーカーズ)」というユニットであったことはよく知られている。

・メンバー構成

 RED’z(RedWorker’zの略称)はZONEと同じ事務所(ランタイム)に所属していた女の子6名からなるグループで、メンバーは現在のMARIAから舞衣子を除いた5名に、TSUGUMI(現在はソロ活動中)を加えた6名から構成されていた。

 ツインベース・ツインギター・キーボード・ドラムスいう構成はMARIAと同じだが、楽器の担当が少し異なっており、TSUGUMIがリードギターでAYUKA(現・あゆか)がサイドギター、またSACCHINはベースを担当していた(それ以外の3人はMARIAと同じ楽器を担当)

 また固定したボーカルはおらず、ZONEのMIYUや現・ZAQ(ランタイム所属の3人組のアコースティック・グループ)の半澤遥など、外部のメンバーが務めることが多かった。

・活動歴

 RED’z 結成の経緯や活動歴についてはウィキペディアなどを参照してほしいが、結成当初(2003年秋)は後にZONEに加入することになるTOMOKAが、ボーカルとして在籍していたと言われている。

 ちょうど同年7月にアコースティック・デュオの「鈴の音(すずのね)」がインディーズ・デビューしていたから、おそらく事務所側は(鈴の音とは対極的な)ロック色の強いガールズ・バンドとして、RED’zを構想していたのであろう。

 しかし、2003年末にZONEのリーダーであったTAKAYOがグループを脱退することになり、急遽、TOMOKAのZONE(再)加入が決まる。

 以後、RED’zはボーカリストが固定せぬまま、(新生)ZONEや長瀬実夕のバックバンド・兼・バックダンサーというポジションに置かれることを余儀なくされる。

 そして2005年4月1日のZONE解散後、TSUGUMI以外のメンバーがベーシストの舞衣子と合流する形で、RED’zはMARIAへと発展的に解消される運びとなった。(注)

 (注)なお、TSUGUMIがMARIAに加入しなかったのは、純粋に音楽性の違いによるものと思われる(そう信じたい)
 TSUGUMIの志向する音楽については、彼女のHP、及び、Myspaceを参照。

1・2 RED’zのIF物語

 MARIAのアルバム発売を悦ばしく思うその一方で、私はしばしばこう夢想する。

 もし運命の歯車がほんの少しでもずれていたら、現在のMARIAはまったく別の姿をしていたかもしれない。そして、この「もう一つのMARIA」は、現在のMARIAに劣らぬ個性を持ったバンドとなり得たのではないか、と。

 以下は、その夢想(というか妄想)噺である。

・出発点とあり得た未来

 「もしもTAKAYOのZONE脱退が(少なくとも彼女が短大を卒業するまでは)なかったとすれば」

 これがこのストーリーの出発点である。そして、(オリジナル)ZONEは現在も(あるいは2006年3月までは)存続していたとする。その場合、TOMOKAを含めた7人組(オリジナル編成)のRED’zはこんな道を辿ったのではないか…

――2004年の間はZONEのツアーに帯同するなど、ランタイム関連のイベントに参加してファンに顔見せをしながら練習を重ね、2005年にはインディーズでデビューしシングルを2枚ほど出す。

 そして、2006年3月にZONEに続く本格的なガールズ・バンドとしてメジャー・デビューし、2007年6月20日にデビューアルバム(タイトルは『(仮)RED’z Go!』)を発売する――

・仮想RED’zの音楽性

 この「もう一つのMARIA」ならぬ(オリジナルの)RedWorker’zはどんなバンドになっていただろう?

 おそらく、現在のMARIAよりもずっとロック色の強い楽曲が演奏されているだろう。「空想と現実の夜明け」「ROCKING」をさらにハードにしたような。

 さらにTSUGUMIの存在を考えると、ヘビーメタルにも接近しているかもしれない。昔のバンドで言うなら、SHOW-YAをもう少しポップにして、ビジュアル的にはケバさを薄めて(笑)フレッシュにした感じだろうか。

 楽曲は、TSUGUMI、TATTSU、AYUKAが中心となって作っているだろう(町田紀彦氏もアレンジなどを手伝っているかもしれない)。MARIAに比べてマイナー・コードが多く、アップテンポの曲とバラードの比率は8:2くらいか。

・各メンバーの役割

 TOMOKAはボーカルに専念する。彼女のパワフルな歌声を前面に押し出す一方で、インスト・パートは現在よりも長くなっているかもしれない。

 ギターではTSUGUMIがソロやメイン・リフを取る一方で、AYUKAはリズム・カッティングが中心の奏法となる(現・MARIAのSACCHINの役どころ)

 ベースはSACCHINが(現・舞衣子のような)リード・ベース的な役割を担当。一方、AIKA(愛華)はコード弾きなどの基本的なベース・パートを担うと共に、「クール・ビューティー」としてビジュアル面の充実を図ってもらおう。(注)

 (注)そのイメージを崩さないためにも、彼女にはあまり喋らせないのが肝要かもしれない(笑)

 TATTSUとREINA(れいな)の役どころは、MARIAと変わりないだろう。ただし、ハードな曲が多いからTATTSUのコーラスの比率は減るだろうし、REINAはあまり笑顔を見せることがないかもしれない(マイナー・コードが多いから)

 MARIAがライブハウスが似合うとすれば、RED’zはホールが似合う。コンサートでのトークの比率はかなり少ないだろう(誰に喋らせても、せっかく高揚した雰囲気がまったりとしてしまう気がするから(苦笑)

 とまあ、妄想はどんどん膨らんでいくわけであるが(汗)、いったん現実に戻る。

1・3 TOMOKAへの想い
・意志の弱さ?

 私がこんな妄想に耽るのは、現在も消息不明のTOMOKAへの想いから来ている。アーティストとしての高い潜在能力を持ちながら、ちょっとした運命のいたずらによって、その真価を十分に発揮することなく消えていった彼女に、私は他人事とは思えないものを感じるのである。

 もちろん合理主義者の視点に立つなら、彼女は自分で運命を切り開くだけの「意志の強さ」に欠けていたのだ、ということになるのだろう。

 同じ天然系のキャラでありながら、ZONEの解散後、すぐに(とはいっても1週間は自宅に引きこもって呆然としていたらしいが)気持ちを切り替えてMARIAの結成へと動いた舞衣子とは、この点で決定的に異なる。(注)

 (注)かつてTAKAYOが舞衣子のことを「あこがれる」と言ったのも、彼女のこうした「意志の強さ」をよく知っていたからなのかもしれない。

・運の悪さ?

 とはいえ、他のメンバーに追いつくことだけを考えて、ようやくその背中に手が届きそうになった瞬間、「解散」という形で梯子を外された時のTOMOKAのショックは、想像するに余りある。

 しかも、彼女の場合、(言い方は悪いが)ZONEに切られたのはこれで2度目だ(TAKAYOの脱退によって、RED’zとしてのデビューの機会を奪われたと考えたら3回目ということになる)

 もちろん、誰が悪いわけではない。ただただ間が悪かったとしか言いようがない。でも私が彼女の立場だったら、多分ぐれてしまって(笑)解散コンサートも放棄していただろう。運命を呪ったりもしたかもしれない。

・幸せの行方

 しかし、彼女は全てを受け入れ、武道館の最後のコンサートでは恐るべき潜在能力の一端を示して、表舞台から去っていった。

 幸多いとは言い難かったTOMOKAの芸能生活を振り返ると、彼女が市井の人として生きることを選択したのは、痛いほどよく分かる。(注)

 (注)実際、芸能界以外の世界ならTOMOKAは幸せになれそうな気がする。
 DVDの「ユメハジマッタバカリ」で見せたレジ打ちも似合っていたが、それ以上に、幼稚園の保母さんなんかピッタリではないだろうか。ピアノを弾く朝香(ともか)先生とそれを囲んで歌う園児達の光景など、想像しただけでホノボノとしてしまう…
 いかん、また妄想が入ってしまった(笑)。本文に戻ることにしよう。

 ともあれ、TOMOKAには心から幸せになって欲しい(そして、今度こそ自分の運命を切り開いていってもらいたい)と思う反面、彼女の熱唱している姿をいつかはまた見たいというのも、ファンとしての偽らざる気持ちなのである。

 ただ、それは当面(あるいは永遠に?)望めないことであるので、(オリジナルの)RedWorker’zで熱唱する彼女の姿を想像することで満足するしかない。

 それで、今回のような妄想話を書き散らしているわけである(ああ、お恥ずかしい(汗)

1・4 実現したバンドの勇姿

 で、この想像上のバンドだが、実は一瞬だけ現実化したことがある。2004年のZONEの夏ツアーにRED’zも帯同しているのだが、TOMOKAのソロ「ROCKING」でオリジナル編成のRedWorker’zが姿を現しているのだ!

 下の写真は、『ZONE SUMMER LIVE 2004 TOUR DOCUMENT BOOK』(渡部伸・撮影)から取り込んだものであるが、残念ながら私は後追いのファンなので、実際の演奏を見たことも聴いたこともない。

 コンサートの模様は多分フィルムに収められているはずなので、SONYさんにはこの時のコンサートのDVD化を切にお願いしたいと思う。

Redworkerz

1・5 現在のMARIAについて
・当初のモデルはRED’z?

 最後に、再び現・MARIAについて。以前にも書いたが、デビュー当初のMARIAはZONEとの差別化を図る必要性から、殊更に「ロック・バンド」であることを強調していた。

 最初の2枚のシングルはかなりハード・ロック色が強いし、2006年夏のツアーでも「ロック・バンドとしてのMARIA」を前面に押し出していた。

 おそらくスタッフもメンバーも、このオリジナル編成のRED’zをモデルとして念頭に置いていたのだと思う。

・1年目の挫折

 しかし初めての経験だったとは言え、この時のツアーではボーカルの二人が初日に声を潰してしまい、以後なんとか立て直そうとしたものの、最終日の札幌のライブでは舞衣子の声が完全に出なくなるという苦い経験を味わっている。

 この時メンバー(特に舞衣子)は、「(ハード)ロック・バンドとしてのMARIA」に限界を感じたに違いない。実際、ツインベース・ツインギター・キーボード・ドラムスの轟音をねじ伏せるには、ハルハル(半澤悠)やTOMOKAクラスの声量が必要なのだろう。

・軌道修正

 ただ、さすがに舞衣子は賢明で、秋以降のライブではノドに負担がかからないよう歌唱法を変えている。以前のようにノドを絞ってしゃくり上げるように発声するのではなく、腹から声を出すようにしているのだ(愛華マンはまだそこまではいっていないようだ)

 また、1周年記念ライブではアコースティックな要素を増やしていたし、アルバムの新曲ではラップやミディアムな曲を入れるなど、ロック色をやや薄めてポップ色を強めているように思われる。

・現・MARIAの未来

 私自身はMARIAの未来はかなり明るいのではないかと思う。当初は舞衣子のワンマンバンドのように思われていたが、現在では舞衣子以外のメンバーのキャラも立ってきたし、役割分担もかなり均等になってきた。

 TATTSUとあゆかは作曲面で、愛華はヴィジュアル面で、れいなはムードメーカーとして、SACCHINは精神的な拠り所として、それぞれバンドに貢献している。バンドの結束も今のところ完璧だ。

 あとはライブの回数を増やすこと(本格的な始動は、高校生組が卒業する来年以降になるだろう)、そしてシングルヒットさえ出れば、ZONEのように全国区の存在になることも夢ではないと思う。

1・6 おわりに

 ただ、もしMARIAが成功したとしても、その前身にRED’zという礎(いしずえ)があったこと、TOMOKAやTSUGUMIといった、今は別の道を歩んでいるメンバーがいたことは忘れずにいたいと思う。

 そして、彼女たちに限らず、我々はちょっとした運命のいたずらで別々の道に分かれてしまうことがあるということ、その道がいつかまた交錯することもあるだろうということ、そしてたとえその道が再び交わることはなくても、かつてその人と繋がりがあったという事実だけは忘れずにいたいと思う。

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