« ZONEと私(2)―出会いはふとした瞬間― | トップページ | 春はやく来てね 私のところへ »

2007年3月26日 (月)

ZONEと私(3)―儚さという魅力―

3 魅せられて

 YouTubeのZONEの動画に強いインパクトを受けた私は、さっそく解散コンサートのDVDを購入した。トータル147分のこのDVDを見終わったとき、私は滂沱(ぼうだ)の涙を流していた。

 これまでもライブDVDを見て背筋が逆立ったり、感動で目頭が熱くなったりすることは何回かあったが、ここまで涙が出るのは初めての経験だった。あとはお決まりのパターンである(笑)

 とりあえずアルバムとビデオクリップ・写真集は速攻で入手した。また、YouTubeで別の動画を探したりファンサイトをめぐったりと、ZONEに関する情報を収集する日々が続いた。

 そして、彼女たちについて知れば知るほど、ますますその魅力にはまっていったのである。

4 ZONEの魅力について

 いったいZONEの何が私をあれほど魅了したのだろう?

 もちろん、個々のメンバーのキャラクターとその組み合わせの妙、演奏とダンスの双方をこなせるパフォーマンス能力、多くの楽曲を手がけた町田紀彦氏の音楽世界など、その魅力を挙げていけばきりがない(これらについてはまた稿を改めて書くことにしたい)

 しかし、ZONE熱もようやく落ち着きつつあるいま冷静になって考えてみると、私自身の心の琴線にもっとも強く触れたものの正体は、彼女たちが醸し出す「儚さ(はかなさ)」であったように思える。

4・1 若々しいエナジー

 実はこのことに気づいたのはつい最近のことだ。

 はじめのうちは、彼女たちの「元気さ」や「明るさ」に惹かれていた。とりわけ、バラエティーやラジオなどのトーク番組でのにぎやかさは、あの世代の仲の良い女の子集団の生態そのままで、微笑ましいとともにとても懐かしい気がした。

 ZONEにはまりだした頃、私はかなりの鬱モードにあったから、あの若々しいエネルギー(かつて私が持っていたが、今は失われてしまったもの)を、心身が欲していたのかもしれない。

4・2 葛藤とその克服
・『ここから ZONE』

 次に私を惹きつけたのは、さまざまな葛藤に苛まされながらも前に進んでいく彼女たちの姿である。これについては、音楽ライターの竹内美保さんの著書『ここから ZONE』に多くを依拠している。

 この本はメンバーへのインセンティブなインタビューをもとにして書かれた(第一期)ZONEの成長記で、(デビュー3作目にしてミリオン・セラーを出し、紅白歌合戦にも3年連続で出場するなど)一見順風満帆にみえたZONEの歩みの舞台裏で、各メンバーがさまざまな葛藤や軋轢に戸惑ったり悩んだり怒ったりする姿が克明に描かれている。(注)

 (注)たとえば、ZONEの代表曲である『シークレット・ベース~君がくれたもの~』が、当初、レコード会社のスタッフから発売を反対されていたことや、メンバーのMAIKOとMIZUHOがほぼ同時期に脱退を考えていたことなど、かなりショッキングな内容も含まれていたりする。

・ハードな日常

 思えば彼女たちは小学校低学年の頃から、学校が終わると毎日のように厳しいレッスンに明け暮れていた。

 そしてメジャー・デビューしてからは、土・日は東京で集中的に仕事をこなし、月曜日の朝一の飛行機で札幌へ帰ってそのまま学校へ向かうというような、きわめてハードな毎日を過ごしていたのだ(10代前半の女の子が、である)。(注)

 (注)これは、彼女たちの所属する芸能プロダクションランタイムが、基本的に学業優先の活動方針を取っているためである。

・苦難を乗り越えて

 学業と芸能活動を両立させることだけでも大変なのに、上記のようなさまざまな葛藤や軋轢に彼女たちは直面しなければならなかった。好きで始めたこととはいえ、いつ挫けたり辞めたくなったりしても不思議でない状況である。

 だが、彼女たちはそうした困難をなんとか乗り越えながら成長していった。その前向きな姿に、努力したりまっすぐ物事に取り組んだりすることを久しく忘れていた私は強く惹かれたのだと思う。

4・3 儚さという魅力

 しかし、そのように苦楽を共にし堅い絆で結ばれていたはずの仲間が、脱退や解散という形でいとも簡単に離ればなれになってしまう。そのような「関係の儚さ・無常さ」こそが、実はもっとも私を魅了したものの正体であったのかもしれない。

・「別れ」に満ちたZONEの楽曲

 思えば、ZONEの歌う曲には人々の別離(わかれ)を主題としたものが多かった。代表曲の『シクベ』は転校で離ればなれになってしまう友達へのメッセージ・ソングであるし、歌詞と曲調は前向きなものであるとはいえ『卒業』はやはり別れ(卒業)の歌である。

 『僕の手紙』は歌詞を読む限りでは片想いの相手への思いを吐露した歌であるが、そのPVでは片想いの相手の死が暗示されているし、アップテンポで別れとは関係なさそうな『H・A・N・A・B・I~君がいた夏~』にしても、そこで歌われているのは今は別れてしまって側にいない友達か恋人についての回想である。

 もちろんこれらはあくまで楽曲を担当した町田紀彦氏(当時、ランタイムの社員で、ZONEの音楽上の先生でもあった)の歌世界であって、ZONEのメンバーの実人生とは直接関係はなかったはずだ。

・詞の世界の現実化?

 しかし、ZONEが解散へと至る過程は、まるで歌の世界が現実化されてしまったかのようである。

  • ZONEのみならずランタイム全体のエースでもあったTAKAYOは「器用に生きるのに少し疲れてき」て、「ただ流された昨日に大きく手を振り(…)明日への一歩」を踏み出していった(『For Tomorrow』)
  • リーダーの座を引き継いだMIZUHOは、芸能界という「街の渦に飛び込ん」で「明日を見失った」(『夢ノカケラ…』)が、「果てしない未来へと歩き続ける勇気持たなきゃ」(『GO!』)と脱退を決意した。
  • 「どうしていつも不安が私を苦しめ続けるんだろう」(『ROCKING』)というTOMOKAの思いは、悲しいことに今回も現実のものとなってしまった。
  • フロント・ボーカリストとしてZONEの歌世界を紡ぎ上げていたMIYUは解散後、「少し疲れてくじけそう」になっていたが、「ゆっくり歩けばいいよ」(『旅立ち…』)と渚のオールスターズに背中を押され、活動を再開した。
  • そして、MAIKOだけがいち早く町田ワールドを抜け出し、MARIA(新グループ)の舞衣子として、新しい仲間と共に「小さな詩(うた)」を「声が枯れるまで歌う」ことを決意した(『小さな詩』)

 いずれにせよ、現時点でランタイムに残留して活動を続けているのは、MAIKO(舞衣子)とMIYU(Miyu)の二人だけである。

 TAKAYOは短大卒業後、インディーズで音楽活動を再開したが、ランタイムとは現時点では接点がないようである。MIZUHOはホテルマン養成の専門学校に進学したらしい。TOMOKAだけは現在も消息不明である。

・様々な別れ

 去っていったのはZONEのメンバーだけではない。TAKAYOの脱退やZONEの解散を機に、何人かの有望なランタイム生が去っていった。(注)

 (注)その中には、アコースティック・デュオ「鈴の音」のれいなや、MARIAの前身であるRED WORKER’Zの一員で、『僕の手紙』のPVにも出演し人気を博していたTSUGUMIらが含まれている。

 そして、ZONEのみならずランタイム生全員の音楽的師匠と言うべき町田紀彦氏も、ZONEの解散後ランタイムから離れ、現在は子どもに楽器の楽しさを教えるような仕事をしているようだ(詳細は不明

・儚いが故に尊い

 「歌が好き」「ダンスが好き」「目立ちたい」「引っ込み思案を直したい」…

 それぞれ異なる動機を持って集まってきた仲間たちが、様々な体験を共にしながら成長してゆき、あれほど魅力的なパフォーマンスを示すようになっていたにもかかわらず、様々な理由で再びバラバラになっていってしまう…

 離合集散は世のならいとはいえ、あまりにもせつなく、あまりにも儚い。

 だが、かくも儚いからこそ、ZONEやその周囲の人々が活動を共にした短い年月や彼女たちの残した成果(CDやDVD、コンサートやバラエティーの映像)は独特のオーラをまとって、解散後の現在もわれわれを魅了し続けているのではないか。

 ZONEの解散から2年が経とうとする昨今、そんな思いを強めている。

|

« ZONEと私(2)―出会いはふとした瞬間― | トップページ | 春はやく来てね 私のところへ »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ZONEと私(3)―儚さという魅力―:

« ZONEと私(2)―出会いはふとした瞬間― | トップページ | 春はやく来てね 私のところへ »